イランに有名な詩があります。「相手が刀を出して私を殺すといっても、じっと目を見て私は逃げない」それが愛だと思います。「自分のことを好きにならないから相手を殺す」なんて愛じゃありません!愛とは、太陽のように近づくと燃えてしまうものです。遠くから光と温もりをもらうのです。
初恋はピュア。いい匂いのように愛の思い出が残ります。愛とは“見る”ことが重要です。目を合わせることです。愛は宗教よりも強いと思います。全ての争いを浄化します。
映画は目的ではありません。手段なのです。自分の話をする道具ですね。映画作りは生活であって、私の仕事は子供を守ることです。一緒に生活することでその人の癖や考え方が分かってきます。人生や生活と映画は変わらないのです。
いつも「もう子供は撮らない」と思うのに、子供を撮ってしまいます。最初の作品を撮り終えたときにも、「もう二度と子供は使いたくない」と思ったのですが、次のときにもやはり「子供を使うべきだ」と思っていました。よく「子供を撮るのは大変ではないか?」と聞かれますが、“子供の撮り方”というのがあって、それを手にしてしまえば、楽に撮れてしまうものです。自分もかつて8歳くらいから子供なのに生計を立てていて、その子供の姿勢を撮りたいので、今も子供の映画を撮ってしまいます。
イランで私の映画には「シナリオがない」とよく言われますが、シナリオが無いと映画は撮れません。ロケハンに行ったときにメモやスケッチを書きまくって、頭の中だけでシナリオは出来上っていきます。でも、ロケハンのときに書いたスケッチは誰にも見せませんけどね(笑)。初めにシナリオがあるのではなく、人を見てストーリーを考えるのです。
一つの感情=魂を持ち続けて、それを各カットに入れるのは大変な作業です。私は映画の技術を持っていないので、フィルムに気持ちを沢山入れています。「愛を込めて見つめて」と指示しても意味がないので、スタッフもキャストも愛で溢れさせるのです。役者はカメラに、カメラは役者に愛が無ければ、素敵な画は撮れません。同時録音する人もその映画を好きかどうかすぐにわかります。スタッフ内で一人でも気持ちがずれていては駄目なのです。
細かいカットのつなぎなので、編集は難しいですが、ロケハンの時に作ったメモ・スケッチのシナリオの段階で編集は決まっています。編集では意味とフィーリングで繋げようと思っています。フィーリングの説明が繋がって、リズムを生むからです。
「Dorna」のあと、仕事が無くて、テレビ取材の仕事をしていました。その時、インタビューの最中も相手の顔だけでなく、その人が見ているところなどを映していたら、よく相手に怒られたりしましたよ。でも、そういったやり方だと、エネルギーをみんなに分けられるのです。
衣裳も、色などを私自身で考えて役者に着てもらっています。全てのシーンの全てのものをどこに何があるべきか綿密に考えて撮っているのです。構図は絵を額に入れてから離れて確認してみるように、何度もチェンジして見ています。カメラも、大体いつも私が覗いています。でも、『ダンス・オブ・ダスト』のとあるシーンでは非常に風が強く、パンするときにあまりに怖くてカメラマンに頼みましたけどね(笑)。
“love”がドキュメンタリーだと言うのであれば、私の映画はドキュメンタリーです。カメラを感じさせないのが私のスタイルなのです。だから、ドキュメンタリー風になるのかもしれません。観客が「これは実際に起きている出来事だ」と信じるとドキュメントで、信じないとフィクションと呼ばれているに過ぎません。今はプロの役者に素人のような演技をさせたいと思っています。
一番最初の映画のタイトルは“The Owl(ふくろう)”でした。イランでふくろうは、不幸を運ぶ鳥と言われています。“The Owl”を撮っているとき、隣のおばさんが屋根にいました。「何を撮っているの?」と聞かれ、「映画のタイトルのふくろうを撮っている」と言うと、「そんなタイトルにしたらあなたが撮る映画は全部公開を禁止にされちゃうよ」と言われました。――その時は迷信だと思いましたが、当たっていましたね(笑)。映画に問題があるのではなく、私自身がアウトローだから上映禁止になっているのだと思います。
音に関しては昔から大好きで、子供の頃から音のことをよく空想していました。誰も気付かなさそうなところまで編集でやるので、「何故そこまでやるのか」とよく人に言われます。風の音の逆方向と正方向をミックスさせて、新しい風の音を作って遊んだりもしています。基本的には同時録音で映画を撮っていますが、録った音はすごくいじっています。音のリズムを決めるのは自然であって、人間ではありません。例えば部屋で喋るときの声の大きさと、線路沿いで話すときの声の大きさは違いますよね。周囲(自然)の決めたリズムに従って、人間は喋っているのです。
映画音楽は嘘っぽく思えて、あまり使いたくありません。風の音、窯の音など、ミックスさせるとシンフォニーのようになります。いつも、効果音は作りません。必要な音が録れなかったときは、そのシーンをすべてやり直しています。
日本は西洋にテクノロジーを妬まれて内部からどんどん壊されつつあるのに、気づいていないですね。イラン人は政治に非常に敏感だけども、日本人は何故アメリカに迎合したままなのでしょうか。
黒澤明の映画は自国の文化を理解し、それを使っているから素晴らしいのです。アメリカは黒澤に多くのことを学んだはずです。日本は完璧なテクノロジーと東洋の心(黒澤明)を持っている国です。