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監督:瀧本智行(たきもとともゆき)
監督:瀧本智行(たきもとともゆき)
1966年、京都府出身。早稲田大学政治経済学部除籍。在学中より自主映画や演劇活動に没頭、’93年頃よりフリーの助監督としてTV、映画を問わず様々なタイプの監督の作品に参加。助監督の傍ら、TBS「月曜ミステリー劇場」、NTV「火曜サスペンス劇場」などのTVドラマの脚本やプロットプランナーとしての仕事も手掛ける。本作『樹の海』で念願の監督デビューを飾る。助監督としての主な担当作品に佐野史郎監督『カラオケ』(’99)池端俊作監督『あつもの』(’99)、降旗康男監督『鉄道員(ぽっぽや)』(’99)、井坂聡監督『破線のマリス』(’00)、高橋伴明監督『光の雨』(’01)、佐々部清監督『チルソクの夏』(’03)など。

 

去年の五月、シナハンのためにプロデューサーと二人で初めて富士の樹海に行った。シナハンといっても、まだシナリオの原型すらない時期のことだ。ただ当てもなく樹海の中を彷徨ってみようと思い立ったのだ。樹海探検をした者たちの残滓であろう、張り巡らされたままのビニールロープに沿って、奥へ奥へと歩いていった。カメラ持参のプロデューサーは、時折立ち止まりカメラを構える。ただ歩くだけの僕はついつい一人で先に進んでしまった。自殺した人が残していったと思われる遺留物と出くわす。「あっ!」と思い振り返ると、プロデューサーの姿は視界のどこにもなかった。無数の樹木がどこまでも並び立つ樹の海の中で、僕は一人になった。瞬間、ざらざらとした気分が胸の奥から湧いてきた。数年前、似たような気分になった頃のことを思い出した。

その頃、僕は助監督を始めて七、八年が過ぎた頃だった。俗に言う売れっ子助監督で、仕事の誘いはひっきりなしにあったが、その立場にすっかり嫌気が差していた。同世代や後輩たちが続々と監督デビューし始めた。自分の映画が作りたい、監督になりたい、そう思って始めた仕事だったのに、そのまま続けていてもとても監督になんかなれそうにはなかったのだ。一念発起して助監督の仕事をすべて断り、シナリオを書き始めた。しかし……そのシナリオはいつまでたっても完成しなかった。一ヶ月たっても、二ヶ月たっても、書いては捨て書いては捨ての繰り返しだった。自分が撮るためのシナリオだから締め切りはない。そのシナリオを待っている人など誰もいない。ただ時間ばかりが過ぎて行った。財布の中身もすっかり底をついた。そのうち季節は夏になり、蒸し風呂のような部屋にいるのも嫌になってきた。さりとて、行く当てもなければ金もない。仕方がないから、日がな新宿の街中をうろついて時間を潰した。よく行った場所が新宿コマ劇場の前だ。道端の縁石に何時間もへたりこんだまま、行き交う無数の人々を淀んだ目で追いかけていた。当然ながら誰も話しかけてはこないし、こっちを見てもくれない。ただ目の前を通り過ぎていくだけだ。みんな忙しそうだった。そして底抜けに楽しそうだった。足が地面から三センチ程浮いて、宙を歩いているように見えた。少なくとも道端に蹲る僕の目にはそう映った。雑踏の中に、ぽつんと、僕はいた。ざらざらとした気分だった。孤独とか焦燥とか不安とか、そんな気取った言葉で括れるようなものではない。正に『ざらざらとした』としか言いようのない、どうしようもない気分に僕はどっぷりと浸かっていたのだ。今も樹の海の中を独り彷徨っている誰かと同じように、その頃の僕は人の海の中で溺れかけていた。

ガサガサという足音が聞こえ、樹木の向こうにプロデューサーの姿が小さく見えた。一人でいたのはほんの数分の間だったが、ほっとして思わず笑ってしまった。自分のために誰かがいてくれるということが、こんなにも嬉しいものなんだと改めて気付いた。

死にたい人に死ぬなと言い切れる自信は、残念ながら僕にはない。せいぜい僕に出来ることは小さな声で呟くことだ。「あなたのためにもきっと誰かがいてくれる」と……『樹の海』はそんな映画だ。新宿コマ劇場の前で蹲っていたかつての僕が、この新人監督のデビュー作を見たらどう思うのだろうか、聞いてみたい気がする。人の映画を貶してばかりいたから、どうせ「つまんない映画作りやがって」とか何とか散々毒づくんだろうけど……。

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