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この“奇跡”の作品に参加できて、私はとても幸福だ。 ジャン=ピエール・レオーこの“奇跡”の作品に参加できて、私はとても幸福だ。 ジャン=ピエール・レオー

Introduction

ヌーヴェルヴァーグの申し子 ジャン=ピエール・レオー×世界で活躍する諏訪敦彦監督 最高のコラボレーション!

ヌーヴェルヴァーグの申し子 ジャン=ピエール・レオー主演!ヨーロッパを代表する名優×ワークショップで出会った子どもたちの奇跡の共演ヌーヴェルヴァーグの申し子 ジャン=ピエール・レオー主演!ヨーロッパを代表する名優×ワークショップで出会った子どもたちの奇跡の共演

主演は、映画史に残る名作『大人は判ってくれない』で鮮烈なデビューを果たし、トリュフォー、ゴダールをはじめ、世界の名だたる巨匠たちにリスペクトされる名優ジャン=ピエール・レオー。自身の映し鏡のような老俳優ジャンを演じ、「最後の代表作」と呼ぶにふさわしい、彼の映画人生の集大成ともいえる存在感を見せつけた。そして、日本国内で開催されている「こども映画教室」に講師として参加してきた諏訪監督が、映画を作る子どもたちの姿に魅せられて、南仏の子どもたちとの映画制作ワークショップを敢行。ヨーロッパを代表する名優と、天真爛漫な子どもたちを引き合わせ、ほかでは見ることのできない奇跡の共演が実現した。さらに、フランス期待の新星ポーリーヌ・エチエンヌ、ジャン=ピエール・レオーとは『ママと娼婦』以来の共演となるイザベル・ヴェンガルテンと豪華な顔ぶれが揃っている。第65回サン・セバスチャン国際映画祭のワールドプレミア上映では、エンドロールが始まるやいなや鳴り止まないスタンディングオベーションが響き、「息を呑むほど素晴らしい!」(エル・ムンド紙)、「ジャン=ピエール・レオーにとにかく圧倒される!」(ガラ紙)と、仏日の才能が融合した最高のコラボレーションに世界が賛辞を贈った。

生きることは素晴らしく、死とはふたたび出会う場所生きることは素晴らしく、死とはふたたび出会う場所

南仏コート・ダジュール。死を演じられないと悩む、年老いた俳優ジャン。過去に囚われ、かつて愛した女性ジュリエットの住んでいた古い屋敷を訪ねると、彼女は美しい姿のまま、幻となって彼の前に現れた。再会を喜び、屋敷で寝泊まりをはじめるジャン。すると、屋敷に忍び込んだ地元の子どもたちが、ジャンにカメラを向ける…「僕たちの映画に出てくれませんか?」。子どもたちからの誘いではじまった映画撮影。やがて映画を撮り進めるうちに、過去の記憶と向き合い、忘れかけていた感情を呼び起こしていくジャン。残された時間、ジャンの心に、生きる歓びの明かりがふたたび灯されていく―。

世界で圧倒的な評価を受ける、諏訪敦彦監督8年ぶりの最新作世界で圧倒的な評価を受ける、諏訪敦彦監督8年ぶりの最新作

国内だけでなく、海外のキャスト・スタッフで精力的に名作を生み出し、フランスをはじめヨーロッパで圧倒的な評価を受けている諏訪敦彦監督が、『ユキとニナ』から8年ぶりに撮り上げた仏日合作作品。ジャン=ピエール・レオーを主演で映画を撮りたいという熱い想い、そして数々のアーティストに歌い継がれる名曲「ライオンは寝ている」から着想を得て物語が生まれた。劇中では、監督の持ち味である即興演出によって、思いもよらない奇跡の瞬間が何度も舞い降りる。また、ジャン=ピエール・レオーの父親で劇作家のピエール・レオーが書いた戯曲の台詞を引用し、演劇的で詩情溢れる世界を創り上げた。映画の父・リュミエール兄弟作品の舞台で知られる南仏ラ・シオタを舞台に、生死の垣根を越え、人生を軽やかに味わい深く物語る。さらに南仏の美しい風景と、撮影のトム・アラリによる幻想的な光の演出によって、作品がより一層輝きを増している。

Story

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南仏コート・ダジュール。
老年の俳優・ジャンが映画のリハーサルを続けている。彼は、うまく死を演じられないと悩んでいた。撮影が中断されることとなり、ジャンは旧友に会いに行くことにする。
大きな赤いグラジオラスの花束を持ったジャンがたどり着いたのは、かつて愛した女性・ジュリエットの住んでいた古い屋敷。中へ入ると、ジュリエットが美しい姿のまま、幻となって現れる。再会を喜び、彼は屋敷で寝泊まりを始めることに―。

ある日、ジャンは屋敷に忍び込んだ地元の子どもたちと出会う。彼らは屋敷を使って映画を撮影しようとしていた。ジャンに興味を持ち、カメラを向け始める子どもたち。「僕たちの映画に出てくれませんか?」。
ジャンは頑固な態度をとっていたが、次第に心を開きだす。やがて屋敷を貸すこと、映画に出演することを快諾したジャンは、「脚本を用意しなさい」と子どもたちに言う。子どもたちは秘密基地で脚本を作り上げ、いよいよ撮影がはじまる―。

子どもたちとの映画撮影で、ふたたび生きる歓びが沸き上がっていくジャン。そして幾度もジャンの前に現れるジュリエットの幻影と対峙しながら、同時に自らの過去と残された時間を見つめ出す。

映画作りが教えてくれたのは、死を想うこと、そして生きていく大きな歓び―

Jean-Pierre Léaud

1944年5月28日 フランス パリ生まれ。劇作家の父親と女優であった母親の間に生まれる。13歳の時に、『罪と罰』(56)で映画初出演。その後、フランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』の主役にオーディションで抜擢され、大成功を収めた。それ以降、トリュフォーの“分身”として映画に出演し、「アントワーヌ・ドワネル・シリーズ」で親しまれる一連の作品が生まれた。トリュフォーに可愛がられたことから、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェットなどヌーヴェルヴァーグの監督たちの様々な作品に多数出演。ヌーヴェルヴァーグを代表する俳優となった。五月革命以降、仲違いとなるゴダールとトリュフォーの板挟みに苦しみ、自国を離れ、イタリアなど他国の映画作品にも出演。トリュフォーの死により、映画出演を控える時期もあったが見事復帰。ツァイ・ミンリャン監督『ふたつの時、ふたりの時間』(01)、アキ・カウリスマキ監督『ル・アーヴルの靴みがき』(11)など、現在も世界中の映画監督からオファーが絶えない俳優である。

Filmography 主な映画出演作Filmography 主な映画出演作

1959
『大人は判ってくれない』 フランソワ・トリュフォー
1960
『オルフェの遺言―私に何故と問い給うな―』 ジャン・コクトー
1962
「アントワーヌとコレット」(オムニバス『二十歳の恋』の一篇) フランソワ・トリュフォー
1966
『男性・女性』 ジャン=リュック・ゴダール
1967
『サンタクロースの眼は青い』 ジャン・ユスターシュ
『中国女』 ジャン=リュック・ゴダール
『出発』 イエジー・スコリモフスキ
『ウイークエンド』 ジャン=リュック・ゴダール
1968
『夜霧の恋人たち』 フランソワ・トリュフォー
1969
『豚小屋』 ピエル・パオロ・パゾリーニ
1970
『家庭』 フランソワ・トリュフォー
1971
「アウト・ワン 我に触れるな」 ジャック・リヴェット
『恋のエチュード』 フランソワ・トリュフォー
1972
『ラストタンゴ・イン・パリ』 ベルナルド・ベルトルッチ
1973
『アメリカの夜』 フランソワ・トリュフォー
『ママと娼婦』 ジャン・ユスターシュ
1979
『逃げ去る恋』 フランソワ・トリュフォー
1985
『ゴダールの探偵』 ジャン=リュック・ゴダール
1986
『肉体と財産』 ブノワ・ジャコー
1988
『アニエスv.によるジェーンb.』 アニエス・ヴァルダ
1989
『バンカー・パレス・ホテル』 エンキ・ビラル
1990
『コントラクト・キラー』 アキ・カウリスマキ
1993
『愛の誕生』 フィリップ・ガレル
1996
『私の男』 ベルトラン・ブリエ
『イルマ・ヴェップ』 オリヴィエ・アサイヤス
1997
『男と女と男』 リュカ・ベルボー
2000
『趣味の問題』 ベルナール・ラップ
2001
『ふたつの時、ふたりの時間』 ツァイ・ミンリャン
2003
『ドリーマーズ』 ベルナルド・ベルトルッチ
2010
『ふたりのヌーヴェルヴァーグ ゴダールとトリュフォー』 エマニュエル・ローラン
2011
『ル・アーヴルの靴みがき』 アキ・カウリスマキ
2012
『カミーユ、恋はふたたび』 ノエミ・ルヴォウスキー
2017
『ライオンは今夜死ぬ』 諏訪敦彦

※『 』日本公開、「 」映画祭/特集上映のみ,” ”日本未公開 と表記

Cast & Staff

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ジュリエット役 ポーリーヌ・エチエンヌ

1989年6月26日 ベルギー ブリュッセル生まれ。10代から舞台でキャリアをスタートし、18歳で映画デビュー。『愛について、ある土曜日の面会室』(09/レア・フェネール監督)で、エトワール新人女優賞、リュミエール新人女優賞を受賞。ほかに、『メニルモンタン2つの秋と3つの冬』(13/セバスチャン・ベベデール監督)、『EDEN/エデン』(14/ミア・ハンセン=ラヴ監督)など。17年には、郊外の靴工場で働く女性たちの姿をミュージカル仕立てで描いた『ジュリーと恋と靴工場』で主演をつとめ、脚光をあびた。待機作に、カトリーヌ・ドヌーヴとカトリーヌ・フロが共演する『ルージュの手紙』(17年12月公開予定/マルタン・プロヴォ監督)がある。

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1950年 フランス パリ生まれ。前衛劇作家のロマン・ヴェンガルテンを父に持つ。モデルとして活躍するなか、ロベール・ブレッソン監督に見いだされ、『白夜』(71)で女優デビュー。ほか、「壁戸棚の子供たち」(77/ブノワ・ジャコ監督)“、The Territory”(81/ラウル・ルイス監督)、『ことの次第』(82/ヴィム・ヴェンダース監督)など。近年は写真家としても活躍している。主演のジャン=ピエール・レオーとは『ママと娼婦』(71/ジャン・ユスターシュ監督)以来の共演をはたした。

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1981年7月9日 フランス パリ生まれ。祖父は俳優・演出家のクレマン・アラリ。兄は撮影監督のトム・アラリ。パリ第八大学で映画を専攻。07年、中編作品に特化し、若手監督の発掘の場ともなっているブリーヴ映画祭で“La Main sur la gueule”がグランプリを受賞。13年、短編“Peine perdue”が、ベルフォールアントルヴュ映画祭の短編部門にてグランプリを受賞。16年、長編第一作となる『汚れたダイヤモンド』を発表。フランス批評家協会賞・新人監督賞のほか、いくつもの賞をとる。次回作はオール日本人キャストで、元陸軍少尉の小野田寛郎氏の物語を映画化予定。俳優としては、私生活のパートナーであるジュスティーヌ・トリエ監督「ソルフェリーノの戦い」(13)、“Victoria”(16)などに出演している。

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1982年12月14日 フランス生まれ。08年にフランス国立高等演劇学校を卒業した後、アベル・フェリー監督のホラー映画『デッドクリフ』(09)で映画初出演。10年には大人気テレビシリーズ「メゾン・クローズ娼婦の館」や、レア・セドゥ主演の「幻の薔薇」(10/アモス・ギタイ監督)に出演。エマニュエル・ミレ監督“La brindille”(11)での演技で注目を集める。ほか出演作に「ルイーズ・ウィマー」(12/シリル・メヌガン監督)、ジャック・マイヨ監督“La Mer à boire”(12)、『メニルモンタン2つの秋と3つの冬』(13/セバスチャン・ベベデール監督)など。

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1963年12月25日 フランス パリ生まれ。ペリモニー演劇コースで学び、舞台役者としてのキャリアをスタート。多くの舞台に出演し、自らも多数の舞台演出を手がける。クロード・シャブロル監督『ボヴァリー夫人』(91)で劇場用長編映画に初出演。以後、『二十歳の死』(91/アルノー・デプレシャン監督)、「ゴダールの訣別」(93/ジャン=リュック・ゴダール監督)、『感傷的な運命』(00/オリヴィエ・アサイヤス監督)、『デュラス愛の最終楽章』(01/ジョゼ・ダヤン監督)、『隠された記憶』(05/ミヒャエル・ハネケ監督)など出演作は多数。近年では、第62回カンヌ国際映画祭〈ある視点〉部門審査員特別賞受賞の『あの夏の子供たち』(09/ミア・ハンセン=ラヴ監督)、「三人の結婚」(10/ジャック・ドワイヨン監督)、『チャップリンからの贈り物』(14/グザビエ・ボーヴォワ監督)、『めぐりあう日』(15/ウニー・ルコント監督)、『フランコフォニアルーヴルの記憶』(15/アレクサンドル・ソクーロフ監督)、『ザ・ダンサー』(16/ステファニー・ディ・ジュースト監督)などがある。初監督した“Au galop” (12)は第65回カンヌ国際映画祭批評家週間に正式招待された。諏訪敦彦監督作品への出演は、『不完全なふたり』(05)につづき2作目。

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撮影の8カ月前から、南仏で行われたワークショップに集まった20人ほどの子どもたちのなかから選ばれた。実際に、映画の中で子どもたちが撮影している映画は、子どもたちが話し合って作り上げているもの。彼らが映画を発見していくプロセスを、そのまま作品に取り込んでいる。

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1978年 フランス パリ生まれ。独学で撮影を学ぶ。ギヨーム・ブラック監督の『女っ気なし』(11)、『やさしい人』(14)、『あさがくるまえに』(16/カテル・キレヴェレ監督)などの撮影を手掛ける。また、実の弟であるアルチュール・アラリ監督の作品は、日本公開された『汚れたダイヤモンド』(16)をはじめすべての撮影を担当している。

Director Nobuhiro Suwa

1960年 広島県生まれ。
大学卒業後、長崎俊一、山本政志、石井聰亙(岳龍)などの作品に参加する一方で、『はなされるGANG』(84年/8ミリ)などの作品を発表。テレビドキュメンタリーの演出を手掛けた後、97年『2/デュオ』で監督デビュー。定型のシナリオなしで撮影されたその作品の完成度の高さが、国内外で絶賛され、ロッテルダム国際映画祭でNETPAC賞を受賞する。2作目の『M/OTHER』では三浦友和を主演に起用、99年カンヌ国際映画祭監督週間に出品され、国際批評家連盟賞を受賞。アラン・レネ監督の『二十四時間の情事』をリメイクした、3作目『H Story』は主演に『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』でその名を知られるベアトリス・ダルを起用、01年カンヌ国際映画祭ある視点部門に出品される。ヨーロッパでの評価は圧倒的であり、ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ(サルコジ元仏大統領の妻カーラ・ブルーニの実姉)を起用した、4年ぶりの長編作品『不完全なふたり』はロカルノ国際映画祭で審査員特別賞を受賞し、フランスでの上映もロングランヒットを記録した。オムニバス映画『パリ・ジュテーム』では唯一の日本人監督として「ヴィクトワール広場」を制作、主演にジュリエット・ビノシュを起用。その際に出演していた、イポリット・ジラルドと共同監督をした『ユキとニナ』を09年に発表。09年カンヌ国際映画祭監督週間に出品された。08年から13年まで、東京造形大学の学長職を務め、現在は東京藝術大学大学院教授を務めている。また、小中学生の子どもたちへ映画制作を教えるワークショップ「こども映画教室」の講師としても参加している。

FilmographyFilmography

1997
『2/デュオ』
1999
『M/OTHER』
2001
『H Story』
2002
「a letter from hiroshima」(オムニバス『After War』の一篇)
2005
『不完全なふたり』
2006
「ヴィクトワール広場」(オムニバス『パリ、ジュテーム』の一篇)
2009
『ユキとニナ』
2017
『ライオンは今夜死ぬ』

Interview (第28回マルセイユ国際映画祭用ビデオレターより抜粋)

1、ジャン=ピエール・レオーとの出会い1、ジャン=ピエール・レオーとの出会い

ジャン=ピエールと初めて会ったのは、2012年のラ・ロシュ・シュル・ヨン映画祭です。そこで偶然私のレトロスペクティブとジャン=ピエールの特集上映があって、そこで私の作品を観て気に入ってくれました。特に『不完全なふたり』が彼にとってはヌーヴェルヴァーグを引き継いだ作品に思えたようです。彼の方からぜひ会いましょうという申し入れがあって、私は思ってもみなかったので喜んで会いました。お会いして彼の存在を目の当たりにした時に、非常に映画的なポエジーを、彼の身体や話し方に感じました。「この人を撮りたい」という欲望からこの映画はスタートしました。

2、子どもたち2、子どもたち

私はこの数年間、日本で「こども映画教室」のプログラムに講師として何回か参加してきました。3日間で、子どもたちが映画を考えて撮影して編集して上映するというプログラムです。子どもたちの撮影に立ち会っていく中で、彼らが映画を発見していくプロセスが面白いなと思いました。『ユキとニナ』でも子どもは出てきましたが、今回は、物語をこちらが考えてシナリオを書くのではなく、実際に映画の中で子どもたちが映画を作るプロセスを取り入れられないかと思ったわけです。撮影の8カ月前から三回くらい、20人ほどの子どもたちを集めました。彼らは、もちろん演技はしているのだけど、映画のことを一生懸命考えて、自分から行動して発言していてとても嬉しかった。非常に面白い経験でした。

3、「ライオンは今夜死ぬ」3、「ライオンは今夜死ぬ」

映画の準備をしているときに、私はジャン=ピエールに、劇中で歌を歌ってほしいと直感的に思っていました。ある時、ジャン=ピエールが日本に来る機会があり京都で会ったときに、「好きな歌はありますか?」と尋ねました。そしたら「ライオンは今夜死ぬ」を歌ってくれました。とてもスローペースでオリジナルな歌になっていて。ぱっと聞いた時にはこの歌だとすぐには分からなかったのですが、その歌い方がすごく良くて、この歌を歌ってもらおうと思いました。そして根拠はないんですけど、「ライオンは今夜死ぬ」というタイトルも、この映画にふさわしいのではないか、そこから何かスタートできるのではないかと思いました。内容が決まる前に、タイトルと歌は最初に決まりました。論理的に、物語的な必要性でこれが決まったというよりは、この歌からすべてが始まったという感じです。

4、生と死4、生と死

劇中では、ジャン=ピエールはいくつかの死についての台詞を言っています。死というのは出会いなんだと。それをじっと見つめるということが大事だと。これは、私が書いた台詞ではなく、ジャン=ピエールの死に対する考えです。彼が、年齢や死に対して抱いているイメージ。それを映画の中では、彼が即興的に表現しています。撮影がはじまる前に、彼と何度も会って話をした中で出てきた話でもあります。死をめぐって、この映画ではいくつかのイメージや言葉が出てきますが、最初から死をテーマにしようとしてたわけではないです。どちらかというと、ジャン=ピエールと話していた時に出てきた主題というのは、死についてというよりは「生」について。つまり生きていることはいかに素晴らしいということか、ということでした。台詞でもあるように、「生と死は同伴している」という、どちらか一方があるわけではなくて、死があっての生であり、生があっての死がある。「ライオンは今夜死ぬ」の歌も、ライオンが死んだという歌詞ですが、それを非常に元気よく歌います。歌は「生」の側のものだと思うのです。そのアンビバレンツな関係がすごく面白いなと感じました

Comment

老いた名俳優が問う
「難題がある。どうやれば死を演じられる?」
さらりと答える女性がいる 「演じてはだめ」
だから、この映画は美しい

三浦友和

俳優

映画の中に、こんなに「死」という言葉があふれているのに、
画面の中にはなんと「生」がうつくしく輝いていることだろう

川上弘美

作家

映画作りをしている子供たちとの出会い。彼らは年老いた主人公の心の旅の先導者。
死なんて無縁と思える子供たちの感性は、主人公の心を解き放っていく。
死への考察は、受け入れることで新たな世界へと人生を導いてくれる。

奈良美智

美術家

これは、ヌーヴェルヴァーグを「人生」として生きたジャン=ピエール・レオーの映像による「失われた時を求めて」だ!

鹿島茂

フランス文学者・明治大学教授

なんとステキな映画なんだ。
生と死と恋と思い出が溢れ、美しい光の中で子ども達とライオンと観客が一体化する。すごい!

鎌田實

医師・作家

何と可愛い、詩情溢れる映画なんでしょう。
「70歳から80歳は人生のクライマックス」と言う老俳優と子供たちの創造の秘密基地!
ユーモアと哀愁が美しく戯れる、極上のワインのよう!ずっと酔っていたい。

加藤登紀子

歌手

偏屈そうなジャン=ピエール・レオーが子供たちに囲まれて、
わちゃわちゃとにぎやかに映画を作っている。
それだけで胸がいっぱいになり、涙が流れてしまった。

山内マリコ

作家

フランスの美しい景色が全編に溢れている。
若い時に映画を撮ってみたいというとても素直な感覚を思い出してしまった。
映画って良いなっていう素朴な気持ちです。

高橋幸宏

音楽家

映画はフレームの外を存在させることもさせないこともできる。
この映画はそれを駆使して軽やかに人間の真実の瞬間をつくり出してる。
映画という形式に久しぶりに嫉妬しました。

岡田利規

演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰

ドキュメンタリーか?フィクションか?という議論は、もうとっくに無効だと思う。
でも、ジャン=ピエール・レオーの動き、表情1つ1つは、まさしくドキュメンタリーに他ならない。

ホンマタカシ

写真家

青い森にて、狂おしく取り残されるジャン=ピエール・レオーの瞳に、
生の悲しみと死の歓びが、はなれがたく灼きついていました。
映画を作り出す時間に生命の満ち欠けが込められていました。
映画を作り、そして映画をまなざす私たち自身が、
こどものように新しい命を得ては、こどものようなあなたを何度も愛す。

山戸結希

映画監督

映し出される奇跡、そこで語られる生と死。
ジャン=ピエール・レオーに、とにかく圧倒される!

ガラ紙

息を呑む素晴らしさ!
誰もが気づかなかった、最も斬新で自然な、最も美しい瞬間を捉えた傑作。

エル・ムンド紙

深くメランコリックに、本作は死と過去の幻影を映し出す。
生と死が楽しく共に訪れ、若きと老いが手を取り合いダンスしているようだ。

ベリア紙

“人生”という旅の手引き書。
そのバラバラなパーツを繋ぎ合わせる手段としての、映画というアイデアの素晴らしき原点回帰。
監督の素晴らしいコンセプトと、トム・アラリによるコート・ダジュールの鮮やかな映像が完璧に融合した。

シネウローパ

強烈に美しい。特に色彩が素晴らしく、インテリアの赤、青、黄色はまるでマティスの絵画のよう!
この映画は優しい。小さなアントワーヌとアントワネットたち(と彼らの犬)に囲まれ、若さの合唱の中で、子ども時代のワクワクする発見のような映画愛への回帰を感じる。
フランス映画の中で、かつて子どもだったジャン=ピエール・レオーの、過ぎ行く時間の記憶を思い起こさせてくれる。

フィルム・コメント

敬称略/順不同

Keyword

撮影地撮影地

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撮影は、屋敷を含めて市街地もほぼ南仏のラ・シオタ周辺で行われている。湖のシーン、冒頭とラストでジャンが映画の撮影をしているシーンについては、香水で有名なグラースという街を拠点に撮影している。映画が持つ幻想的な世界と、南仏の光溢れる風景が見事にマッチしている。

音楽音楽

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劇中で、ジャンが子どもたちと歌う印象的な曲は、ジャン=ピエール・レオーが諏訪監督に好きな歌を聞かれた際に歌ったもの。この曲に着想を得て、映画の物語やタイトルは導き出されている。元々は50年代にアメリカで「Wimoweh」というタイトルでヒットした。その後、61年に「The Lion Sleeps Tonight(ライオンは寝ている)」という題名で新しく英語の歌詞が作られた。日本でも、『ライオンキング』の劇中歌で耳にした人が多いはず。劇中で歌われる、フランス語に翻案された「ライオンは今夜死んだ」は、アンリ・サルヴァドールをはじめ多くのアーティストが歌っている。ほかにも屋敷でジャンとジュリエットが歌うのは、『ウイークエンド』(67/ジャン=リュック・ゴダール監督)でジャン=ピエール・レオー演じる男が電話ボックスの中で歌う曲。

子どもたちへの映画制作ワークショップから生まれた映画子どもたちへの
映画制作ワークショップから生まれた映画

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諏訪監督は、国内で「こども映画教室」の講師として参加してきた。映画作りを通して、子どもたちが自分たちで考え発見していく姿に感銘を受けた監督は、子どもたちが映画作りをするプロセスを、劇中に取り込むことを思いつく。フランスのいくつもの団体に声をかけたところ、南仏の団体が手を挙げたことで実現した。劇中で子どもたちが撮影するホラー映画は、実際に子どもたち自身が脚本を書き、撮影をしている。本作は、映画の新たな生まれ方、映画の可能性を示しているといえる。また、フランスのシネマテーク・フランセーズが主催する、20年前から続く国際的な映画教育プログラム「映画、100歳の青春」に日本から「こども映画教室」が今年初めて参加(アジアではインドに続き2か国目)。その講師として諏訪監督も参加が決まっている。