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『不完全なふたり』
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インタビュー < 不完全なふたり
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◆◆◆ 諏訪敦彦監督 インタビュー ◆◆◆


―『H story』では二人の登場人物が異国に置かれたわけですが、今度はあなたご自身が、あなたの知らない都市、知らない言語で撮ることになったわけです。言葉を知らないということはハンディキャップになると思いますか。


私はフランス語がほとんど分かりませんが、それでもそれがハンディキャップになるとは全く思いませんでしたね。もし私が自分固有の映画、自分一人の考えを反映した映画を作ろうとしていたならば、言語や私のビジョンを俳優やスタッフに伝えるのに問題を生じたかもしれません。それに、フランスであれ、ヨーロッパであれ、自分がその文化を完全に理解できるとも思えない。もし全能の立場を望むのであればこの映画をフランスで撮りはしなかった。私はイメージを支配しようなどと思いません。 この映画は一人の人間によるものではない。それが素晴らしい。私は俳優達、フランス人スタッフとこの映画を作り、そして実際まったく不安はなかった。フランスで生活して、フランス社会を良く知っている俳優やスタッフが、彼らの正確な見方を持ち込んでくれるのですから。
私は映画をコントロールする気はありません。私は撮影という現実の中では触媒のようなものに過ぎず、それぞれの様々なリアクションを引き出す。私の映画の作り方はそんな具合なので、言葉の問題もそれほどではありませんでした。ただ、私の演出法を熟知してくれていた、プロデューサー/通訳の吉武さんの仕事振りがあればこそですが。


―レストランの場面などを見ると、会話が必ずしもちゃんと聞き取れない時もあり、言葉の意味そのものよりも、身体や顔、身振りや音などのほうが明らかに重要なのですね。


まさにその通りです。母国語で映画を撮っているときも、意味よりは音響として俳優の台詞に耳を傾けています。無論台詞は重要ですが、それは音響の素材に過ぎない。声の反響や抑揚、それは感情表現の土台となる身体の一部であるわけですが、歩き方やせきばらい、服のしわと同じくらい重要なのです。私は音の変化、ホテルのドアが閉まる音の響きも、人物の感情表現の大きな要素だと思っています。
音楽の鈴木治行さんはノイズに随分注意を払って作曲してくれました。会話が止み、沈黙がその場を支配する時、イメージは意識下の感情を表現し始める。レストランの場面については、会話が止まった後の沈黙の瞬間が、言葉の意味以上に重要なのだと思っています。


―かなり撮影期間が限られているのをうまく利用したようですね。速く撮るほうがあなたには都合がいいのでしょうか。即興で撮る現場ではどれだけの準備をするのでしょうか。


速く撮るのは私にはとても都合がいい。日本では大規模なプロダクションを除いて、大抵の監督は撮るのが速いです。撮影日数を減らし、製作費を下げれば、中身に対する自由を得られるのです。経験から身につけた戦略ですね。日本映画の平均的撮影時間に比べても私の撮影日数はかなり短い。
しかし例え限られた撮影日数でもぜいたくに使うことは出来ます。『不完全なふたり』の撮影は11日間、予定より1日少なく済みました。11日で私には十分でした。この11日間に話し合う時間をたっぷり持つことが出来たのです。私はショットごとにいくつもテイクを撮るのが好きではありません。
同じことを何度も繰り返していると、わざとらしい完璧さを求めるようになってしまう。そんなものは必要ないのです。撮影前に私は俳優と何度も話し合いをします。その上で撮影時には、初めて現れる何かを掴もうとするのです。


―キャロリーヌ・シャンプティエとの協力関係についてお話願えますか。


『H story』の経験を通して、私たちは大きな信頼関係で結ばれ、互いに深く理解しあいました。私たちの関係は、普通の監督と撮影監督の関係を超えています。私たちは撮影と演出一体のチームなのです。そればかりではない、映画の製作過程でかなりのウェイトを占めるキャスティングでも、彼女を大いに頼りにしました。
彼女は俳優に関しては第六感が働くのです。『H story』で、ベアトリス・ダルを推薦してきたのは彼女です。『不完全なふたり』については、ヴァレリアとブリュノを選んだのは私ですが、その他のキャストについては彼女のアイディアに拠っています。この映画では美術監督を使いませんでした。美術と衣装の責任者は彼女だったのです。

―キャロリーヌ・シャンプティエが現場で支配的な、というか意思決定の役割を演じたということ、ほとんど共同演出に近いほどであったことについては、言葉の問題があるのでしょうか。


この映画については、彼女はまぎれもなく共同演出者だと思っています。
スタッフと俳優がフランス人だったので、確かに一部の撮影については彼女が指揮しました。しかしそれは言葉の問題ではなく、この映画がまるで自分の映画であるかのように、映画の創造的な部分に関与しようとする彼女の意思ゆえなのです。私は、スタッフの全員がこんな風に、各自自分の見方を持ち込んでくれたことに大いに感謝しています。日本で撮る時、スタッフの一人一人が一家言を持ち、提案してきます。撮影時、一人でいるのはつまらない。撮影は幾つもの輪の中で行われるべきでしょう。例えばプロデューサー/通訳の吉武さんも、まるで助監督のように、俳優の演技について意見を出していました。誰もが、自分自身の映画のように働いていたのです。


―ヴァレリア・ブルーニ=テデスキとブリュノ・トデスキーニを選んだのはなぜでしょう。


『H story』の時に既にヴァレリアを考えていました。しかし私が考えていた役よりかなり若かった。2003年に一年間フランスに住んでいた頃、どうしても彼女に会いたいと思いました。実際に会ってみると、直感的に、次回作は彼女だ、と思いました。一緒にロベルト・ロッセリーニの話をして、心理だけでは説明できない人間の行動を描こうということになった。そこから『不完全なふたり』が生まれたというわけです。しかしその当時は語るべき物語がなかった。
ブリュノとの出会いはもっと後です。直ぐに強い絆、生まれた時からあったような絆を感じましたね。私のことを「日本人の兄」と言ってくれます。
ヴァレリアとブリュノは似たような苗字ですが、共に国立ナンテール・アマンディエ劇場俳優養成学校で演劇を学び、昔からの友人同士。一緒に出た場面はありませんが、同じ映画に出演もしています。これは面白いと思った。二人がいいカップルになると、私は予感したのです。


―今までのあなたの映画では、一つの場面の中で、ごく限られた数の登場人物=俳優しか画面に映りません。『不完全なふたり』では、確かに数人の親密な場面と同時に、集団の場面も試みておられます。集団の場面はやはり違うものでしょうか。


そうですね。あの場面はかなり不安でした。俳優の数が多いからというだけでなく、結婚式の撮影場所を、レストランにするか、アパートにするかで大分迷ったのです。
撮影前に一人一人とかなり話しこんだので、演技の空間は自然と出来上がっていきました。それに集団の場面を撮影するのは楽しかった。一人一人が自分の物語を作り上げていました。ルイ=ドー・デ・ランクサンとジャック・ドワイヨンは彼ら自身監督なので、あの場面に多くのものをもたらしてくれました。
交わされるたくさんの会話、移り変わる状況にかなり興奮を覚えましたね。


―二人で生きることの難しさ、これがあなたにとっては尽きせぬ物語の泉なのですか。


この映画企画の製作意図のメモのなかにエマニュエル・レヴィナスの言葉を引用しました。「愛において、二人であることを人は嘆き続ける。しかし私の意見では、最も重要なのは、二人であるということなのだ。そこに愛のすばらしさがある。決して溶け合って一つにはなれないという点に」。今までずっと、私は他者を描こうとしてきました。映画はまだ、「二人であること」を描くことも、再現することも出来ていないのです。





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◆◆◆ ヴァレリア・ブルーニ=テデスキ インタビュー ◆◆◆


―即興を好み、フランス語をそれほど知らない監督との撮影は例外的なことだったのでしょうか、それともいつもと変らないものだったのでしょうか。


普通とは違いましたね、こんな経験はしたことがない。即興は賭け、挑戦です。映画全編を即興で撮ったことはありませんでした。諏訪敦彦監督の映画を見た経験からの、彼への強い信頼無しでは、こんなことは決してやらなかったでしょうね。監督の世界観、映画観によって支えられているのでなければ、即興は苦痛に満ちたものになってしまいますし、普通の映画と全く変らないものになってしまいます。だから、私はずっと監督の視線によって支えられているような気がしていました。書かれたシナリオは無かったのですが、私には彼の視線があり、その力強い視線に導かれて、いわば手探りで映画作りのほうへ進むことが出来たのです。
彼がフランス語を話さないということ、これは些細なことだったかもしれませんが、才能や、とりわけ感情を理解する知性を持っていれば、どんな言語でも話せるものです。厳密な意味で言葉が理解出来なくても、結局は分かり合えるのです、だって同じ考えを持っていて、感情を共有しているのですから。この経験の中で、否定的なものは何一つありませんでした。撮影が11日間という時間の制約も刺激的でした。否定的なものになったかもしれない全ての制約が、ポジティヴなものになったのです。


―映画は夫婦がパリに到着するところから始まります。見ているうち、彼らの関係が15年来のものであり、今や閉じられようとしていることが分かります。これを基礎として、あなた方は自分が演じようとする人物の詳しいプロフィールを作り上げようという気持ちになりましたか?


ブリュノと一緒に何か演技の参照になるような点を考え出す必要は感じました。何をしてきた人なのか、どこに住んでいるのか、小さな、伝記的な事実ですね。即興の中で球を投げあうことが出来るためには、共通の標識というか、共通の思い出が無ければなりません。かといって一人の人生を人工的に作り上げたわけじゃなくて、軽いタッチで描いてみたという程度です。軽く色づけしてみた、というか。
でも感情的には、私たちにはとっくに過去があったのです。二人ともナンテールで、パトリス・シェローのもとで学びましたし、共通の友人ともども、同じ場所で同じ時期に一緒にヴァカンスを過ごしたこともあるし、だから私たちの間には、理解しあうのに互いを見る必要さえないような、そんな共犯者同士に似た力が生まれていたのです。ことさら見せびらかすまでも無く、夫婦としての実質のようなもの、15年の思い出が感じられるのです。

―現場では諏訪監督はどんな様子ですか。


私が覚えているのは、彼が私たちをずっと見ていたことです。彼が私たちを見る、それだけで、演出するのに十分なのです。とても変な感じですが。あまり大した話をした記憶もないし、細かい指示を受けた記憶も無いのです。ただ、一回だけ指示らしいのを聞いたのは、撮影が始まって2,3日後のことですが、ラッシュを見た後に、「ねえ、マリー、君は女優じゃなくて、ただの一人の女性なんだ」って。感情表現のレベルを下げるようにという彼なりの頼み方だったのですね。あの指摘は私にはとてもためになりました。


―「閉じられたドア」の場面ですが、オフ・スペースが二重に存在するあの場面で、カメラの存在はあなたには最早見えず、恐ろしいほどの孤独の感情を伴いながらドアに向かって話し掛けています。あの場面はどのように演じられたのでしょうか。


扉は閉めたままで演技しましたが、カメラが私を捉えたままだと言う気持ち、ドアを透かしてカメラが見えるつもりで演じました。だから、声が物理的に見えるのです。ブリュノと私がオフ・スペースにいる全ての場面でも同じことです。私たちは丸々そこにいるし、深く場面の中に存在しているのです。カメラが何を捉えていようと。扉を閉めて、それでも場面が続いているというのはかなり刺激的でした。俳優として、切り返しとか捨てカットとかから程遠い独特なやり方での撮影には心が躍ります。何もかもがグラグラ揺れ動き、型どおりの映画作法なんてどこへやら。この現場では型どおりだと思ったことはありませんでした。


―それにこの映画では、あなたたちには物語を左右することができ、あなたたちだけで映画の取る方向性を決定することができたわけです。


確かに私たちには登場人物の人生や運命を決定する力がありました。実際の人生においてそうであるように、自分の運命に向かっていくことが出来る、あるいはそこから遠ざかっている、と感じるのです。取ることの出来る道はいくつもありました。
どれが真の運命なのか。止まるべきか、行くべきか。いずれにせよ自分が取る道が真の運命になるのです。生命に向かう道、破壊に向かう道。このカップルにとって、一緒にいるという選択、最後に列車に乗らないと言う選択は、生命力に溢れた選択だったと思います。何か奇蹟的なことなのです。
諏訪監督は撮影前に、ロベルト・ロッセリーニの『イタリア旅行』の話をしてくれました。奇蹟が訪れる結末について。突然イングリッド・バーグマンとジョージ・サンダースが互いを再び見出し、抱きしめあうのです。監督はそれ以上あの映画の話はしませんでしたが、私は準備中も撮影中も、ずっとあの映画のことを心に留めていました。で、ある日カフェで結末をどうするかという話になった時に改めて、ロッセリーニとあの映画の結末を持ち出したわけです。あれは真にハッピー・エンドと言うべきもので、思うに映画は、どれほど悲劇的であっても、常に生命力に満ちた形で終わらなければならないのです。




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◆◆◆ ブリュノ・トデスキーニ インタビュー ◆◆◆


―シノプシスの内容はどのようなものでしたか。


全部ありました、順序どおり。タクシーでパリに着くところ、ホテルの受付、勘違い、ベッド・メーク…それにこれから別れようとする夫婦の様々な問題。


―この夫婦の架空の経歴については練り上げようという積りはありましたか。


もちろん。実際にそうして諏訪敦彦監督に知らせたし、監督はそれでシナリオを書き直しました。全員参加でした。俳優や監督ばかりでなく、みんなが何かしらアイデアを出しました。彼はグループ作業の信奉者なのです。私にとっての最初の疑問は、何故この夫婦には子供がいないのか、ということでした。出来なかったのか、彼女の方が産みたくなかったのか、夫婦ともに作りたくなかったのか。その答えは未だに出ていません。その点についてそれぞれ自説を言い合いましたが、ヴァレリアと考えが同じになることはなくて、といって別に折れ合う必要も無かった。ただ、男と女はこうも対極的になるものかと、それが興味深かったですね。
ヴァレリアとは、別れるのを言い出したのはどっちなのかについても意見が合わなかった。私が思うに、それは私、つまりニコラのほうではなく、確かに始めたのは私の方だけれど、どうにかして彼女に離婚を決意させよう、自分の代わりに決定を下させようとして、ギリギリまで追い込もうとしたわけですね。まったく男というのはこういうもので、徹底的な行動を取るのではなく、事態をほったらかしにしておくのです。


―こういった類の映画、つまりこのような即興が大きな役割を演じるような撮影では、俳優は役柄を越えて、物語にまで影響を及ぼすのではないでしょうか。


シノプシス上では、結婚式を終えて、ナタリー・ブトゥフに再会した後、私は彼女のアパートに行って、彼女と寝ることになっていました。でもそれは拒否しました。そんなことはありえない、それではニコラはクズ男になってしまいます。
マリーとニコラの二人には、本当に別れる理由などないのです。彼らは愛し合っているわけだから。あのラストは書かれていなかったもので、二人で決めました。10日間の撮影の後では、ヴァレリアと私の間で、そうなるように事態が推移していたからです。
でもそれも順撮りのおかげが大きい。ナタリーとの場面を初日に撮影していたとしたら、私がシノプシスを尊重して、入り口のドアを押して、一緒に彼女の部屋まで入っていたかもしれない。そうなれば全く違った話になっていたでしょう。

―現場では諏訪監督はどのように振舞っていたのでしょう。彼の指示はどのようなものでしたか。


あまり言葉を通しての指示ではありませんでした。諏訪監督は、ずっと準備が出来るのを待っていて、現場に現れると、僕たちの前をふらふら歩き回りながら何か考えている。それだけで十分なのです。日本人俳優をどう演出するのか知りませんが、それほど変らないと思います。いずれにせよ、これは言葉の問題ではなく、近さの問題なのです。
演出家と俳優の距離を見つけ出すこと、これが彼の独特な演出でした。


―キャロリーヌ・シャンプティエの役割はどのようなものでしたか。


監督とは全く性格が違っていて、それでも完璧に分かり合っていましたね。監督にはキャロリーヌに対して求めるものが正確にわかっているのですね。映像、フレーミング、つながり。とても慎み深く見えますが、それでも諏訪監督はとても男らしい人です。


―諏訪監督はアクシデントをうまく受け入れることが出来るのですか。


私が部屋に帰り、ヴァレリアの荷物がないことに気付く場面を例に挙げましょう。演出は単純でした。部屋に着く、明かりをつける、受付に電話をする、それから好きなように部屋をうろつきまわる。さて、アクションの声がかかると、私は部屋に帰り、荷物が無いことを確認し、電話をかけ、座り込み、また立ち上がり、と、そこですっかり明かりをつけるのを忘れていたことに気付いたのです。他の映画だったら直ぐカットして、もう一回やり直していたでしょう。でもこの現場では違いました。私は突然動けなくなり、はっきりと「畜生」と悪態が口をつくのを感じました。後で考えたら、明かりをつけなかったのはある意味奇蹟だったと思いますが、明かりのあるはずの場面なのに、薄暗がりの中で一分もショットが続くのです。出来上がったのを見たら、諏訪敦彦監督はそのテイクを残していました。