アボルファズル・ジャリリ
PROFILE
監督作品
ぼくは歩いてゆく
ダンス・オブ・ダスト
キシュ島の物語
少年と砂漠のカフェ
トゥルー・ストーリー
スプリング-春へ
ハーフェズ ペルシャの詩
プロフィール<アボルファズル・ジャリリ
BITTERS END shopping gallary

アボルファズル・ジャリリ
(Abolfazl Jalili)

<PROFILE>

1957年6月29日、イラン中央部のサヴェーに生まれる。13歳で自分が描いた絵や書を売り生計を立てる。79年、IRIB(イラン国営テレビ)に入社、この間に手がけた短編ドキュメンタリーや短編劇映画を通じて独自の手法を模索する。
少年院の子どもたちを実際に出演者に起用した第3作『かさぶた』(87)により、批評家の注目を集める。だが、常に過酷な状況下にある子どもたちをリアルに描くジャリリの作品は、イラン国内では常に賛否両論の論争を巻き起こし、92年製作の『ダンス・オブ・ダスト』は国内外を問わず一切の上映を禁止される。
95年、原因不明の病気にかかった妹を治そうとする少年を描いた『7本のキャンドル』がヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。翌96年にはドキュメンタリーとフィクションを大胆に融合させた『トゥルー・ストーリー』がナント三大陸映画祭でグランプリを獲得し、ジャリリの名は一気に世界に知られることになる。
ハタミ政権が成立した後の98年には、『ダンス・オブ・ダスト』がついに海外での上映を解禁され、ロカルノ国際映画祭での銀豹賞をはじめ、各国の映画祭で様々な賞を受賞。同年、サン・セバスチャン国際映画祭では『ぼくは歩いてゆく』が審査員賞を受賞している。また、モフセン・マフマルバフ、ナセール・タグヴァイと競作したオムニバス『キシュ島の物語』は99年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品された。2001年、実際のアフガン難民の少年を主演に据え完成させた『少年と砂漠のカフェ』は、ナント三大陸映画祭で見事グランプリを受賞。2007年には麻生久美子の海外初進出作品となる『ハーフェズ ペルシャの詩』がローマ国際映画祭審査員特別賞を受賞。世界にその名を轟かせる監督である。

<FILMOGRAPHY>

1975 Joghd 【The Owl】 8mm、15分

1976 Pesarak-e Rooznameh Foroush
  【Newsboy】
8mm、20分

1979 Khaneh 【Home】 16mm、15分

1979 Gheseyeh Hossein
  【Hossein's Story】
16mm、20分

1980 Ba Bachehay-e Zelzeleh Zadeh Golbagh-e Kerman
  【With The Child Victims of Earthquake of Golbagh-e Kerman】
16mm、30分

1981 Mohajeran-e Jang
  【The War Immigrants】
16mm、30分

1981 Dokan Daran-e Tehran
  【Tehran's Stand-Owners】
16mm、60分

1982 Movazeb Bash【Be Careful】 16mm、50分

1983 Milad 【Milad】 16mm、104分

1985 『スプリング−春へ』 35mm,86分

1987 『かさぶた』 35mm、87分

1990 Dorna 【Dorna】 35mm、未完
 ヴェネチア国際映画祭 金のオゼッラ賞

1994 『7本のキャンドル』 35mm、83分

1995 『トゥルー・ストーリー』 35mm、125分
 ナント三大陸映画祭 グランプリ

1998 『ぼくは歩いてゆく』 35mm、90分
 サン・セバスチャン国際映画祭 審査員賞

1992-98 『ダンス・オブ・ダスト』 35mm、75分
 ロカルノ国際映画祭 銀豹賞
 東京国際映画祭 アジア映画賞
 ナント三大陸映画祭 監督賞

1999 『キシュ島の物語』 第2話『指輪』35mm,72分
 カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品

2001 『少年と砂漠のカフェ』 (東京フィルメックス上映時タイトル「デルバラン」)35mm、96分
ナント三大陸映画祭 グランプリ
ロカルノ国際映画祭 審査員特別賞・国際シネクラブ連盟賞・ヤング審査員賞
東京フィルメックス 審査員特別賞

2003 “Abjad”
 ヴェネチア国際映画祭 コントロコレンタ部門正式出品

2005 “Full or Empty”
 東京フィルメックス 特別招待作品

2007 『ハーフェズ ペルシャの詩(うた)』
 東京国際映画祭 コンペティション部門正式出品
 ローマ国際映画祭 審査員特別賞受賞