※敬称略・順不同
- バラバラになったものは、ふつう順番に並べ直すものでしょ。
でも、その『ふつう』をやめたとたん、ココロとカラダがふわりと軽くなった。
それはとても不思議で幸福な体験でした。
————菊池亜希子(女優・モデル)♀
- おもしろい!と言ってまわりたい!
なんでこんな映画が撮れるんだろう。
坂の多い、迷路のようなこの街で、わたしもずっと迷い続けたい。
————柴崎友香(作家)♀
- この映画の後味はとても不思議だ。
移り変わる時にすこしとまどいながらも、かけらを埋めていくうちに、
それは人と人の思いの地図をみごとに浮き上がらせていく。
そして見終わったあとも、この人たちが今はどうしているかと、
ふとした時に考えてしまう。
————坂本美雨(ミュージシャン)♀
- 登場人物全員が変人で魅力的。
しかも、作中の時間がシャッフルされているから、
次のシーンで何が起こるのか、まったく予測できない。
「いなくなった犬がみつかる」んじゃなくて
「先にみつかってからいなくなる」なんて!
そんな異次元の恋愛はあまりにもスリリングだ。
————穂村弘(歌人)♂
- 時間の錯綜を、大げさな試行や、幻想めいたそれではなく、
ごく普通の世界として心地よく感じさせる。
鮮やかな手つきだ。
————宮沢章夫(劇作家・演出家・作家)♂
- 空耳という現象は、
聴き取れなかった部分を補おうとする脳ミソの仕業だと聞いた事がある。
その脳ミソは、時間は流れているという概念も作り出したんだ。
『自由が丘で』は、時間が自由に煙草をくゆらせワインを傾ける。
補おうとする脳ミソの屁理屈など聞いちゃくれない。
ここは愛と直感の世界JIYUGAOKA8丁目。
JIGOKUNO3丁目ではございません。
恐る恐る未来へ歩く旅人たちのゲストハウス。
夢みるヤツらは、よく眠るのだ。
————安齋肇(イラストレイター)♂
- 気さくな語らいは気まずい喜劇に転じ、
日々の散歩は不条理な停滞へ移ろい、
酒を飲んで煙草を吸って手紙を書いて。
そんな主人公を見ていたら心持ちよくなった。
役者、加瀬亮の代表作の一本だと思う
————渡邊琢磨(音楽家)♂
- 限定された空間で繰り返される、シンプルな出来事。
だが、時系列のシャッフルによって意味を事後的に増幅し、
異文化の街角で出会う日常の豊かさを反芻する作品だ。
————五十嵐太郎(建築評論家)♂
-
何度も読もうとして断念していた吉田健一の「時間」に
もう一度トライしてみたくなりました。
————ホンマタカシ(写真家)♂
- 自然な佇まいの加瀬亮の魅力がこの映画を愉しく心地よいものにしている。
————バラエティ
- 『自由が丘で』は、韓国映画界の鬼才ホン・サンスの新たなイタズラだ。
キュートで、独創的。
ホン・サンスのファンは思い愛してやまない作品に違いない。
————スクリーン・デイリー
- ホン・サンスの映画らしくよく飲み、お辞儀をする。
モリが繰り返し話すのは、現実のからくり、良心について、
生きることへの恐れ、国民性を語るバカバカしさなどなど。
そしてもちろん、いつものように男と女についての、
不器用ながら味わいのあるやり取りがそこにある。
————ハリウッド・リポーター
- 報われる愛と報われない愛という、愛についてのテーマ、
そして文化と性のコミュニケーションの脆さを明らかにすることへの
ホン・サンスのささやかな答え。
この映画の、自然さ、素朴さ、そして時に、言語や文化の壁を乗り越えようとして
迷子になってしまうことへのウィットに富んだ洞察を楽しんだ。
あちこち行ったり来たりするストーリーと異なる文化が衝突する優しいコメディ、
頭の中で断片を整理することの楽しみがある。
————インディーワイヤー
- ホン・サンスは、とりとめのない美しい旋律と共に、
儚くも、スウィートな映画をつくった。
その自然な観察眼は、ふつうの人々の交流を爽やかに、
わかりやすく、そしてダイレクトに感じさせてくれる。
言語の壁を超えようと試みる登場人物たちのささやかな会話に、
いつの間にか夢中になり、最後にはひと言も漏らすまいと聞き耳を立てるだろう。
————リトル・ホワイト・ライズ
- ☆☆☆
時間にしばられないコミカルな出会いの連続と喜劇としての切れ味。
特に、韓国語を話さない、おかしな訪問者を演じる加瀬亮が素晴らしい。
————シネ・ビュー
- ホン・サンス——彼の知っている場所へ、
彼の知っている人々と彼のなじみのある状況の中で行き、
彼は日常生活の中の残酷さや刺激を見つけ、それをシンプルでおおらかに、
そして時に複雑に映画におさめる。
彼の語り口はより巧みになり、スピードと即興を反映したものになっている。
————ニューヨーカー