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南大東島について

基本情報

南大東島位置:北緯25度54–58分
東経131度12分–15分
南北6.54km 東西5.78km
面積:30.74km²
北大東島との距離:約8km
人口:約1300人(平成22年4月)
年平均気温:22.9℃
年平均降雨量:1700mm

歴史

およそ4800万年前に生まれたこの島は、約110年前までは無人島だった。別名「ボロジノアイランド」、1820年、ロシアの艦船ボロジノ号が、大東諸島を発見した時に船の名前にちなんで名付けたのが由来。古来、琉球人の間では“うふあがり島”(はるか東の島)と知られていた。1900年、八丈島から23人の開拓者が上陸。戦前、製糖業を営む企業が島全体を所有し、全面的に自治する「社有島」であった。1946年、沖縄のアメリカ軍政開始により村制が施行。1964年に地元村民による土地所有権が可能となる。 1972年、沖縄返還に伴い日本領に復帰。その後、大東製糖を興し、さとうきびと共に今の島の姿まで発展を遂げてきた。

文化

神輿初期の開拓者たちがもたらした八丈島の文化、製糖会社が持ち込んだ大和文化、そして沖縄文化。南大東島では、これらの文化が混ざり合い、独特の文化が育まれてきた。江戸相撲と沖縄角力、八丈太鼓と三線、山車とエーサー、神輿。大東神社豊年祭は、大和と沖縄の文化がひとつになった南大東文化の象徴。沖縄でありながら、山車、神輿、江戸相撲が行われるお祭りだ。ボロジノ娘の歌う「おじゃりやれ」は、八丈島のことばで、「いらっしゃい」という意味。

空港

那覇から南大東島空港まで約1時間。小型機(定員40名程度)が平均1日1往復する。天候不良による欠航も多い。実際、スタッフが下見で訪れたときも視界不良の為、大東島上空で何度か旋回した後、結局那覇に戻った。三吉彩花は撮影前に島に訪れた際、帰りの便が欠航となり滞在を1日延長した。

船「だいとう」

だいとう那覇の泊港から南大東島までは約13時間。那覇を夕方出航し、朝方南大東島に着く。「だいとう」は月に4回、那覇と南大東、北大東島を往復し、島民の生活を支えている。台風時期には、船が何日も着かないこともあり、食料が不足し備蓄された食料で食いつないで船を待つこともある。映画でも、「台風で船が来なくて、カップラーメンばかり食べていた」と笑い合うシーンがあるが、冗談ではなく、実際に島で起きていること。

島には西港、亀池港、北港、南大東島漁港という4つの港がある。小型船やコンテナ、人の乗った檻のようなものがクレーンで吊り上げられ、「だいとう」に乗せるシーンが映画にも登場する。外海に囲まれたこの島は、わずか沖合2km程で1000mを越える深さがあるが、島の周りは急激に浅瀬になっている。よって、沖からの波が増幅して高くなるため、接岸して陸地への直接の物資等の積み下ろしは危険を伴うのでクレーンを使用している。さらに、船をどこに入港するか(南大東漁港以外)、当日の天候と風向き、潮の流れで決められる。映画を撮影した際も、那覇から来る船の運航スケジュールに従うため、港の場所は当日、港湾に確認してから移動を開始した。なお、BEGINの主題歌「春にゴンドラ」の「ゴンドラ」は“人が乗る檻のようなもの”を「ゴンドラ」と島民が呼んでいることからきている。

さとうきび畑

まぶしいほど発色した緑の高いさとうきびが島一面を覆っている。南大東島は、全面積の60%がさとうきび畑。「シュガーアイランド」と呼ばれる美しい景観だ。開拓当初の収穫は手刈りで、きびを運ぶシュガートレインという列車が島中を走っていた。このシュガートレインを歌った曲が「汽車ポッポ」。優奈が子どもたちの手を引いて登校するシーンで口ずさんでいる。
「さとうきびは島を守り、島は国土を守る」という標語が書かれた製糖工場の煙突。開拓時代から島民はさとうきびを育て、さとうきびは島民の生活を守るようになった。きび農家が集まり、国のTPPへの参加を反対するシーンがあるが、関税自由化により外国から安価な農産物が流入することを懸念し、島は大きく揺れている。

星野洞

星野洞卒業式の後、優奈と利治が酒を納めに行く場所。今でもこの慣習は続いている。島には約120の鍾乳洞があり、その中でも星野洞は最も大きく「東洋一」と呼ばれるほどに美しい。パワースポットしても有名で、“気”が強いらしく、入ると疲れてしまう人もいる。今回の撮影でも短時間で疲れ切ってしまった人がいた。なお、星野さんという方の敷地内に洞窟があるため、星野洞と呼ばれている。

南大東小中学校

南大東小中学校島唯一の小中学校。小学生80名、中学生30名程度。毎年平均して10名程度の中学生が卒業し、島を離れる。その内、約2割の子どもたちが島に帰ってくる。撮影前に何度か平日の登校風景を見たが、映画のシーンはその毎日を誇張することなく再現された。島の子どもたちは兄弟姉妹を越えて、年上の子は、下の子の面倒を見ている。ちなみに、登校シーンで映っている学校前の信号は、教育を目的とした島唯一の信号。

新垣則夫民謡教室

久米島出身の新垣則夫先生の民謡教室。村の協力もあって増築を重ね、教室の裏手にはステージまでもができた。毎年3月4日の三線の日には、島民が集まるコンサートが開かれる。撮影もそのステージを生かして行った。

ボロジノ娘

ボロジノ娘「ボロジノ娘」は、新垣民謡教室に通う小中学生メンバーで作られる民謡グループ。毎日教室に通い、新垣先生の指導の元、三線を弾き、唄を歌う。卒業生の演奏は非常にハイレベルで、BEGINも以前からその存在は知っていた。
映画内、那覇で優奈と「島人ぬ宝」を歌っているのはボロジノ娘のOBたち。島で優奈と練習している子たちが、今、島で教室に通う、現役のボロジノ娘たちである。
OBたちは、帰省時も民謡教室に通い、現役の子どもたちと一緒に練習をする。実家のほかに、彼女たちにとってもうひとつの大切な場所でもあるのだ。

南大東島の島唄

映画で「おじゃりやれ」「ボロジノアイランド」「汽車ポッポ」、そして「アバヨーイ」という南大東島の島唄が歌われる。この曲はすべて、役場の職員であり、民謡歌手でもある濱里保之さんが作詞・作曲をしたもの。濱里さんが作ったこの島唄を、新垣先生は教室に通う子どもたちに教えている。

【参考文献】

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