Bitters End
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『恋人たちの失われた革命』
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監督来日レポート<恋人たちの失われた革命
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フィリップ・ガレル監督来日!!

フィリップ・ガレル監督が『恋人たちの失われた革命』のプロモーションのために来日されました。 本国フランスを始め、他の国々でもプロモーション活動やインタビューをほとんど受けないガレル監督。今回の来日では、雑誌の取材、講義、トークショーなどを精力的にこなして頂き、本作『恋人たちの失われた革命』について、映画論、芸術論、政治論、そして人生についてetc・・・さまざまな熱い思いをお聞きできる、貴重な機会となりました。

フィリップ・ガレル監督
(C)冨永智子

フィリップ・ガレル特別講義 2006年11月5日 映画美学校にて。

映画美学校で「処女の寝台」(1969年)の上映とガレル監督による特別講義が行われました。 ガレル監督の特別講義という極めて希有な機会に、映画美学校の生徒を中心とした多くの人々が集まり、場内は満員で立ち見が出るほどの大盛況でした。 約2時間半にも及んだ白熱した講義内容を一部お届けいたします。


本日は「演出論」をという依頼を受けましたが、演出や演技について俳優がいない状態で語ることはできません。演技について「語る」ということ自体に意味がありません。もちろん演技の歴史というものはあり、それについて語ることはできます。また、実際の俳優を使って、ワークショップのようなかたちでお話をするということもできます。私は別々の学校の俳優科と監督科の生徒を組み合わせて授業を行ったりしています。俳優がいない場で演出論、演技論を語っても意味はありません。私は俳優たちとリハーサルを長い期間かけて行います。何ヶ月、長い時は一年に亘り自宅で、学校で、カフェで稽古を繰り返します。俳優と対話し詩的なポエティックな関係を作りあげます。そして、ほぼ1テイクで撮影をします。それが私のスタイルです。



画像

そして、若い生徒の方々にデジタルやビデオカメラに頼ってはいけないと言いたい。もちろん、私自身も授業中の撮影や、家で作品を見直す時には使用していますが、映画作品は必ず35mmで製作してください。便利で手軽なデジタルと35mmは共存はできます。でも、映画は35mmで撮ってください。何故ならば、35mmは映画の原点であり、傷がついても修復が可能であり、まだ世界中のほとんどの映画館は35mmしか上映するシステムがありません。それらの事を考えると長く保存され、上映されるチャンスが多いのは35mmの作品なのです。映画監督として大切なことは、映画を作る事、人々が映画を観てくれる事、そしてまた次の映画が作れる事です。その為に35mmで製作して下さい。メジャーな映画製作会社には必ず残りフィルムがあります。また、使用期限切れのフィルムもあります。それらを安く譲ってもらい自分の作品を製作して下さい。期限切れのフィルムは確かに色や感度は悪いですが、作品を製作しないより、たとえ色が悪くても自分の作品を製作し続けることの方が大切です。今日の私の話を聞いて、1人か2人でも35mmで作品を製作してくれたら、私はこの講義をして良かったと心から思います。


自分のほんとうに撮りたい映画を撮ること、撮り続けることの難しさについて、熱く語っておられました。経済的に厳しい現実があり、それらを乗り越え、自分のスタイルを貫き通しながら、映画を製作し続けているガレル監督の一種独特な方法論はとても興味深く実践的であり、若い学生の方々は熱心に聞き入っていました。




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フィリップ・ガレル監督×映画記者フィリップ・アズーリ氏×俳優西島秀俊氏
によるトークショー!! 2006年11月7日 東京日仏学院にて。

東京日仏学院では「リベラシオン」の映画記者であるフィリップ・アズーリ氏の企画による上映会「フィリップ・ガレル 現代映画の秘密の子供」が行われ、連日ガレル監督の過去の作品や他の映画作家たちの関連作品が上映されています。当日は『恋人たちの失われた革命』の先行上映後にトークショーが行われました。一般の方が直に監督のお話を聞けるチャンスとあって、キャンセル待ちがでるほどの混雑となりました。その模様を一部抜粋でお届けします。


西島秀俊 : よく映画は観客が観ることで出来上がるといいますが、そういうレベルではなくて、フィリップ・ガレル監督の作品は人生に直接関与してくるという印象を受けます。『恋人たちの失われた革命』は68年5月の機動隊と学生の衝突のことが自分に直接関わってくるようで、すごく衝撃を受けました。特にバリケードの衝突のシーンの力強さがすごいですよね。


司会 : 監督は以前、本作品のバリケードのシーンの撮影中に、68年に自身で撮影された、実際の革命のフィルムが宿っているとお話なさっていましたが、その68年のフィルムについてお聞かせください。


ガレル監督 : 友人と3人で製作しました。私たちは3人とも二十歳でした。ゴダールに会いに行き、彼に援助をしてもらい、共同で35mmのニュース映画を製作しました。60年代は劇場で本編がかかる前にニュース映画がかかっていました。私たちは当時のニュース映画に反するような、革命に奉仕するようなニュース映画を作ろうと決意したのです。パリでは3週間5月革命が続きバークレイでもローマでも同じような学生運動が起きていたので、5月革命についての「アクチュア1」というニュース映画を作り、ゴダールに見てもらいました。その後、ネガを現像所がなくし、ポジは私の家の火事で焼けてしまいましたが、その映画を撮ったことは役に立ちました。本作の68年の武装した状態の機動隊とトラックが橋のところにいるショット、それは私が当時に撮ったショットと全く同じです。石が積まれ、舗道の敷石をはがしたところも、「アクチュア1」と同じショットです。そして、この映像のショットを思い出すことの方が、事件そのものを思い出すよりも私にとっては簡単でした。その残りの部分は記憶をもとに作りました。そして、その周りにラブストーリーを書いたのです。2時間半分のラブストーリーを書き、5月革命の部分につなげました。そういったわけでロマネスクな口実ができました。5月革命の間にバリケードの中で若い二人が出会うという口実です。それはもっともよい製作の方法でした。5月革命だけについての映画を作るとすれば、誰も資金を出してくれず、製作がより難しくなっていたでしょう。映画は大産業に属しています。大産業の中ではわざわざ無理をして、革命を讃えるような映画を作ろうとは誰も思わないのです。


アズーリ : だから5月革命に関する映画は少くないんですね。ところで、現在を生きている、コンテンポラリーな同世代の若者の俳優たちの起用についてのお考えを教えてください。


トークショー


ガレル監督 : 5月革命の部分は自伝的な部分ですが、それ以外は共同脚本家と作り上げたものです。私は学校で演技を教えていました。俳優たちのほとんどは私の教え子で、本作の主演で私の息子でもあるルイも私の生徒の一人でした。何の問題もありません。一切、特別扱いはしませんでした。全員に対して平等の関係を作ることができました。ルイの共演の女性は一番優秀な生徒でした。脚本が書かれてからキャスティングをしたのでなく、脚本を書きながら配役を決めます。共同脚本家の二人に対して、その生徒達の写真を見せ、この子がこの役をすると伝えるのです。したがって、登場人物たちは私の記憶に基づくものであり、無名の私の生徒たちにも基づいてもいます。一方で、たとえば裁判の場面、軍事法廷の場面では、俳優である父に配役を頼みました。歳をとった、全く知られていない俳優を紹介してくれるように頼みました。名優でありながら無名の俳優は沢山います。テレビで見かけたような顔であってはいけないのです。そして、父自身もルイの祖父役で出演しています。父は80歳、息子は20歳、二人を集めて撮れるというのは今回だけではないかと思ったんです。だから家族のシーンに対してはドキュメンタリーのように撮っています。モーリスが自分の遺言のようなシーンをつくるんだ、と自分の孫に向かって言っているような感じがします。近親者とは暗黙に撮影することができます。映画産業は非常に冷たい、厳しい世界です。いろいろな嘘の感情があり、撮影が終わると感情的な繋がりはなくなってしまいます。ですが、近親者と一緒に仕事をすることによって映画産業の冷たさを乗り越えて、自分の動機を高めることができます。撮影が終わってもそうした感情関係が続いていくわけですから、家族に対してはドキュメンタリーのようなものです。そして、常にフランスでのインディー映画の製作は難しいからこそ、私は作る価値のある作品を製作しなければならないと思っています。


ガレル監督の作品は全て鑑賞しているという西島さんと、ガレル作品についての本を執筆中のアズーリ氏。造詣の深いお二人の鋭いご質問に、ガレル監督は丁寧に返答されてました。一般の方からの質疑応答の時間も設けられ、白熱した議論が展開となりました。