◆監督の言葉◆

私がこの物語のどこに惹かれたかというと、それは“永遠”と“日常”が同じように扱われている物語だったからです。同時に“宇宙”と“現実”、“神”と“人間”、そして“自然”と“人間のすべて”、それはすなわち“広量な自然”と“狭量な人間”を含んでいるようにも思いました。

マロワンの物語は、私たちの物語です。私はとりわけ私自身の物語であると強く感じています。親しみがありながらも、そっけなく、ザラついた、この物語の環境を個人的に近しく感じるからです。ですから、映画のトーンはとても個人的なものになります。すべての画は、私がどのように世界を見ているかを反映しています。シンプルなスタイルで、私は可能な限りの誠実さと愛情をもって、労働者階級のマロワンが置かれている環境の複雑さを、活き活きと描こうと努力しました。この映画のスタイルと構造について説明するならば、まず構成とリズムは、マロワンの働く日々の単調さから決定されるということを述べなければいけません。私たちは常に彼の傍らにいて、彼を追い回し、彼の眼で世界を見ます。私たちは彼と一緒に制御室に登り、彼と共に塔から降り、カフェに向います。私たちは彼と共にブランデーを飲み、彼と共に昼食用の魚を買います。これらの平穏無事な日々は次第に違った意味を持って繰り返され、高まる緊張感はマロワンとブラウンを新しい状況へと導きます。私たちが見てきたものは、突然、他の何かに変わります。何であれ親しかったものが見知らぬものになり、簡単に思えたものが大変なものになり、心地よかったものが、恐怖を呼び起こすものに変わるのです。私たちは、これらの変化を経験するたび、スパイラルにはまってゆきます。私たちは人間の内面の変化に注目します。常に動き続けるカメラは、登場人物の眼を追い、メタ・コミュニケーションのすべてのサインを追い、開かれた視界からアップへとゆっくりと近づきます。カメラは内側にも外側にも同時に回り込み、顔に焦点をあてます。特に眼です。しかし、すべてのシーンで、私たちは常に外側を見ています。港や海を見て、自らが閉じ込められているように感じ、それにより尽きることのない自由への誘惑に駆られるのです。霞がかった湿っぽいモノクロームの映像、薄暗いライトの下で揺れる影、湾に映る月の光、それらは私たちの前で明らかになるドラマに特別な美しさを与えます。

この映画は、欲望について、自由で幸福な人生への人間の希求について、決して実現しない幻想的な夢について、そして、毎日眠りにつき次の日に起き上がり生き続ける私たちの強さについて、描いています。私はマロワンの物語が、私だけではなく、私たちの平凡な存在について疑いを持ちながらも、誘惑に打ち勝ち、人間の尊厳を保つ勇気を持っている全ての人の物語であると確信しています。

タル・ベーラ