山河ノスタルジア
『山河ノスタルジア』を作った理由のひとつに、私と母のことが関係しています。私は2006年の『長江哀歌』を撮った前後に、父を亡くしました。その頃私はとても忙しく、母は山西省の汾陽<フェンヤン>に一人で暮らしていました。私は故郷へ帰る度に母にお金を渡し、着るものや食べるものに不自由しないようにしてあげました。ところがある日、そこまでしても母はどこか緊張していて、楽しそうじゃないことに気づきました。母が本当に必要だったのは、お金でも物質的なものでもなく、私の存在だったのです。いつの間にか消費社会の中に私も組み込まれていて、お金で人を慰められるんじゃないかという風に思ってしまっていたのです。
 ある日母は私に突然、汾陽の実家の鍵を渡しました。「これはあなたの家の鍵だからね」と母に言われた時、私はハッとしました。長いこと故郷を離れていた私は、実家の鍵を持つことがありませんでした。私はいかに、自分が彷徨い漂泊する生活を送っていたのかと、強く思いました。
小さな田舎から都会へ出てくる、仕事のために点々と違う街へ移っていく。
多くの人は、自分の可能性を求めて生きています。
ところが、同時に失うものもあります。僕にとっては、それが鍵だったのです。
そして、そのことを私に教えてくれたのは、「時間」だったと思います。
 2013年に『罪の手ざわり』を撮影し終わって、私の興味は生きている人たちのプライベートな気持ちの部分へと移りました。 本作では、はっきりした事件や暴力を描くのではなく、時代の流れに影響を受けている人たちの「感情」に焦点を当てています。 ぜひ、彼らの細かい心のひだに触れてみてください。

―ジャ・ジャンクー(賈樟柯)
(2015年11月 東京フィルメックス来日時のインタビューより)