プロダクションノート

この企画が立ち上がったのは、2012年5月頃。元々は音楽チャンネルMUSIC ON! TV(エムオン!)のステーションIDという、いわゆる番組とCMの間に流れる、チャンネルの方向性や編成テーマのイメージを映像で表現する15秒、30秒の映像の新作を作るところから始まりました。通常、IDはドラマ性のない、抽象的なイメージ映像などで作られますが、今回はその短い映像の裏に、更に奥行きのある世界が広がっているような仕掛けをつくり、視聴者の皆さんに楽しんでいただきながら更に印象に残るものを作りたいと考えました。その根本となるチャンネルのコンセプトは“生活の中の音楽”、“季節感と人のぬくもりが感じられるチャンネル”というキーワードがありました。

そのアイデアをあれやこれや考えている最中、ちょうど完成したばかりの山下敦弘監督作『苦役列車』を鑑賞しました。魅力的な男優さん達の好演の中で、前田敦子さんの、その80年代の空気に自然と収まりながら、生々しくも芯の強い存在感が印象に残っていました。今までも前田さんの演技はドラマや映画などで観ていましたが、現代を代表するアイドルとしての輝きと同時に、真逆の孤独感のようなものをまとっている感じがとても魅力的に感じていたところに、これまた独特の世界観を持つ山下作品の中で、まさに化学反応を起こしているなと感じました。

山下監督には以前もエムオンの企画でロックバンドTHE BACK HORNの楽曲をテーマにしたショートドラマ「キズナドラマ」(05)を作っていただいたこともあり、マッチポイントの根岸洋之プロデューサーに相談したところ、監督たちも前田さんとの共同作業に手ごたえを感じていたらしく、なんとなく新たな企画のイメージを話しているのだけど、1本の映画にするにはちょっとスケール感の小さいお話ばかり浮かんでしまうとのことでした。いいのか悪いのかわからない話の様ですが、そんな小話がたくさん浮かぶという事は、実は山下監督は前田敦子という女優に相当魅力を感じているはずで、それこそこの企画にはぴったりではないかと考え、前田さんサイドに提案する企画を考える事になりました。


ここに才気溢れる脚本家で、山下監督の盟友である向井康介さんが参加し始まったミーティングで最初の段階に出てきたものは、前田さんと子供たちの季節の中での交流というイメージでした。大都市ではなく、故郷を舞台にしたものという基本がありつつ、サスペンスや幽霊の出てくるファンタジーまでいくつものアイデアが出てきましたが、最終的には一番地味な、大学を卒業して、実家に戻ってきてダラダラと暮らすタマ子という女の子のささやかな日常の物語になりました。決め手は「ダラダラしたあっちゃんは可愛いに違いない」という軽く妄想気味なものでしたが、山下監督と向井さんの中には共通のイメージとして、行き場の無い思いを抱える年頃の女の子の日常を愛おしくも淡々と捉えたフランス映画『なまいきシャルロット』(85)があったようです。さらに裏コンセプトとしては「誰も見た事のない前田敦子をみせてやる!」という威勢だけはいいものになりました。

そしてチャンネルコンセプトにのっとり、各季節ごとにIDとショートドラマを並行して撮影を行い、1年を掛けて全編を完結させるというこれまたささやかに贅沢な方法を取る事にしました。ただし秋編IDからのオンエアスタートなので、準備期間はすでに3カ月を切っていました。

企画の概要をまとめ、前田さんサイドに提案したところ、前田さんも山下監督作品への再びの参加を熱望されていたとのことで、忙しいスケジュールの中二つ返事で快諾していただきました。

そしてもう一つ。大切な要素である音楽は、星野源さんにお願いしました。
星野さんは優れたシンガーソングライターであり、今までも『キツツキと雨』(12/沖田修一監督)の主題歌「フィルム」といった名曲を映画のために提供し、作品の情感を更に増幅させた実績もあります。きっとこの作品に必要なものを表現していただけると確信してオファーをしたところ、これもまた快諾していただき、そのタイトルもずばり「季節」という、これ以外には考えられないほどの楽曲を提供していただきました。撮影前にテーマ曲が存在するなんてことは、中々ないのですが、それゆえにタマ子の世界観がさらに確かな輪郭を持って準備に入る事が出来ました。


いよいよ内容のディテールを詰めながら、バタバタと同時並行で撮影の準備に入っていきました。メインの舞台としては、出不精な主人公が自然に子供と交流が生まれる場所が必要で、学校帰りの子どもたちが集まるところとして浮かんだのがスポーツ用品店でした。イメージにあうシチュエーションを関東近郊で探し、甲府フィルムコミッションのご協力で見つけたのが、“甲府スポーツ”。あの店舗は今も実在する“甲府スポーツ”さんをそのままお借りして撮影しています。現在は店舗としてのみ使用している一軒家の、今は倉庫としてのみ使用している部屋までフル稼働させていただき、おかげでセット撮影では出す事のできない実家のどこか窮屈でありながら居心地の良い独特の空間を表現する事が出来ました。

最初の撮影は10月上旬に行われました。製作スケジュール上、3日間で秋編と冬編を撮影するという非常にタイトな状況の中、撮影の芦澤明子さん、美術の安宅紀史さんをはじめ、日本映画界で活躍する最高のスタッフが集合し、半径200メートル以内で展開するタマ子の世界を現実味溢れる深みと温度感で具現化してくれました。

山下監督に全幅の信頼を寄せる前田さんは、タマ子の表情に乏しく、何を考えているのかよくわからないというキャラクターに対しても気構えることなく自然体で臨み、監督からの現場で積み上げていく細かい指示にも瞬時に対応する勘の良さで応え、着々とタマ子を作り上げていきました。

父・善次に扮する康すおんさんは『リアリズムの宿』や『マイ・バック・ページ』など山下作品の常連であり、山下監督曰く「プロフェッショナルが似合う男」。年頃の娘と二人で暮らす父の心持ちを絶妙の距離感で表現してくれました。またタマ子の生活に巻き込まれる中学生・仁には新人の伊東清矢くんを抜擢、朴訥とした存在感でタマ子ワールドに笑いを提供してくれました。タマ子の伯母・よし子に扮する中村久美さんは、衣装合わせでも色々なアイデアを出しながら一緒にキャラクターを肉付けしていただき、父娘2人の日常に自然に関わり、タマ子が心を許せる数少ない相手を演じてくれました。


続いて春編は年が明け2013年4月に撮影が行われました。撮影の池内義浩さんほか、春編から新たに参加したスタッフと共に、再びこの世界に入っていける喜びを一同噛みしめながら準備を進める中、現場に現れた前田さんは、その瞬間から凝縮された“タマ子オーラ”を放っていて、この数カ月の間での女優としての充実した経験を感じさせられました。

春編は自分なりの決意を持ちながら、かなり意外な就職(?)活動を始めるタマ子の意外な行動力と、それにちょっとだけ翻弄される人たちのお話ということで、秋冬の落ち着いたテンションより若干アクティブな雰囲気を持つパートになっていますが、仁役の伊東くんは年が変わって中学生となり、育ち盛りならではの成長ぶりで更に面白味を増し、長期間撮影ならではのリアルなニュアンスがこんなところでも発揮されています。

6月中旬に夏編の撮影が行われました。関東地方は梅雨の真っただ中、スタッフ一同かなりの覚悟を決めてロケに臨みましたが、そもそも甲府は盆地という土地柄ゆえに年間降水量は日本有数の少なさだそうで、撮影に支障をきたすような大雨はなく順調に進んで行きました。

夏編は完結編であり、またほかの季節に比べて長尺なのでドラマ性も高く、新たに重要なキャラクターが登場します。その物語のキーになる新たな人物として、富田靖子さんが父の再婚相手候補としてあらわれ、タマ子の心をざわつかせたり、鈴木慶一さんが善次の兄、つまりタマ子の伯父さんとして登場しました。山下監督とはとある作品でお互い役者として共演したことがあり、今回は短い出演ながら善次の兄らしく飄々としながらも本家の長としての貫録が感じられる人という監督の期待を見事に体現してくれました。

クランクアップを迎え、前田さんは「この現場が終わるのが寂しいです。物語に添いながら、約9カ月に渡って撮影できたのはとても貴重な体験でした」と語ってくれましたが、そこに携わったみんなが同じ気持ちでいた、温かく楽しい現場でした。


最終的な仕上げは8月。長編映画化をするにあたり、劇場のサウンドシステムで季節感、生活感を感じられるように、音響を5.1chでミックスするなど、山下監督の徹底したこだわりは最後まで手を緩められる事なく作業は進められました。またこの作品は基本的に劇伴としての音楽を使用していませんが、季節のタイトル部分には、本編のスチール撮影を担当していただいたフォトグラファーの細川葉子さんの季節のスナップと共に、話題のダブ・ユニット、“あらかじめ決められた恋人たちへ”の池永正二さんにサウンド・ロゴを作っていただきました。池永さんの得意とする、浮遊感の中にユーモアとペーソスが感じられる音は、作品の中の句読点として素晴らしい効果を上げています。

参加したすべてのスタッフ、キャスト全員で、文字通りの手作業で作り上げたささやかでちょっと無愛想だけど、愛おしいタマ子の世界を、皆さんにも可愛がっていただければ幸いです。