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○“ドキュ・ドラマ”と称されるジャリリ監督作品の真骨頂

 独自のスタイルで映画を撮り続けてきたアボルファズル・ジャリリ。本作『トゥルー・ストーリー』は、サマドへのインタビュー、スタッフとの話し合い、診察風景など、あたかもニュース・フィルムのように進行していく。しかし、ところどころでフィルムの端や黒みが挿入され、“映画”と“現実”の境を曖昧にしてゆく。また、ジャリリとサマドの出会いなどが再現されているが、どの部分が“ドラマ”でどの部分が“ドキュメンタリー”なのか、その境も分からない。ドキュメンタリーとフィクションの垣根をとりはらう、その型破りな編集は彼の手法の原点であろう。
 彼は“事実の物語”ではなく、“真実の物語”すなわち『トゥルー・ストーリー』を描き出した。“現実”を切り取りながらも、“現実”に劣らない“映画”として成り立たせてしまう――これまでに前例のない本作は“ドキュ・ドラマ”と称されるジャリリの真骨頂といえる作品である。


○困難と闘いながら製作し続けた末に、辿り着いた『トゥルー・ストーリー』

 1990年に製作していた“Dorna”はセリフがほとんどない映画になる予定だった。だが、製作中に撮影禁止の命令を受け、2年間、映画が作れなくなってしまった。そのフラストレーションから、再度セリフのない『ダンス・オブ・ダスト』を作ったが、この作品もまた、イラン国内のみならず、国外での上映も禁止された。
 次にジャリリは『7本のキャンドル』を製作した。病気になり、動くことも、話すこともできない妹とは、彼自身の姿を表している。「映画の中でその少女を治すことができれば、自分自身も癒されるように思えた」とジャリリは語る。だが、この作品もイラン国内で上映することはできなかった。
 そこで彼は、自分自身を治療することは困難だと悟ったという。そして、次の映画に取り掛かろうとした時、サマドに出会った。彼の足の状態を聞き、ジャリリは自分にできることは何であるのか深く考えた。そして、サマドの治療を手伝うことならば自分にもできるのではないかと思い、撮影を開始した。
 そして、『トゥルー・ストーリー』が完成したのである。

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