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インタビュー

──『裁かれるは善人のみ』はどこから着想を得て生まれたのですか?

AZ:2008年にマービン・ヒーメイヤーというアメリカ人が起こした事件(通称キルドーザー事件)【*1】のことを聞きました。溶接工だったヒーメイヤーは素朴な52歳の男で、ガレージを所有していました。隣に倒産した工場があり、アメリカの巨大企業が再開発のためにその土地を買い取ったのです。彼はその再開発に反対しましたが、この企業だけでなく、市役所、警察、権力、コロラド州との彼の戦いは功を奏しませんでした。絶望した彼は、ある日ブルドーザーを装甲車に改造して、市役所などの建物を次々と打ち壊したのです。この話に私は強く心打たれ、そこにとてつもない反逆者を見たのです。それを共同でシナリオを書いているオレグ・ネギンに話しました。『エレナの惑い』を撮る前のことです。「これはすごい映画になる」と思いました。
次にハインリッヒ・フォン・クライストの小説「ミヒャエル・コールハース

の運命」【*2】を読んで、このアイディアを更に掘り下げようと思いました。この小説の最初の部分はヒーメイヤーの話とそっくりなのです。馬商人のコールハースが馬を売りに市場に出かけると、以前、街道は自由に通行できたのに、通行税を取る柵ができていました。ヒーメイヤーの土地の周りにも柵が作られ、それを乗り越えないと外に出られなくなっていたそうです。信じられないくらい似ています。通行税が払えなかったコールハースは通行税の代わりに馬を奪われます。しかしその通行税は作り話だったことがあとでわかります。コールハースはその馬に酷い仕打ちをした貴族に抗議します。「代償に金も、別な馬もいらない、自然が私に与えてくれた権利として私が要求するのは、私の馬を返してくれることだ」と言います。多くの人が彼に味方し、軍隊となってライプツィヒの街を焼き払うのです。オレグと私は、この話をロシアに置き換えることにしました。


──この映画のタイトルをなぜ「Leviathan(英題)」にしたのですか。

AZ:「ヨブ記」【*3】を読んでいた時に「Leviathan」というタイトルを思いつきました。その後、友人の哲学者に「このタイトルはホッブズ【*4】から来ているのか」と聞かれました。私はその本を読んだことがありませんでした。彼女はそれがどのような本なのか話してくれ、それを聞いてこのタイトルに確信を持ち、ホッブズの本で展開するアイディアにのめり込みました。
自然状態のままでは「誰もがみな敵」という戦争状態になると知った人間は、そうした事態を避けるために「国家」を発明します。国家は、社会による保護を確立し、個人を守り、介入します。社会関係システムの創成です。この保障と引き換えに、人間は自由を国家に委譲するのです。


──スタッフ、キャストはどのように決まったのでしょうか。

AZ:前作に引き続き、製作のアレクサンドル・ロドニャンスキー、それにいつものスタッフ(撮影監督、美術、衣裳、編集等々)を確保できました。
エレナ・リャドワも前作から引き続いての出演です。常々彼女とまた仕事をしたいと思っていました。オレグと私はあて書きをせず、シナリオを書いてから、その役に最良の俳優を選びます。そして、彼女を再びキャスティングしました。男性の役については、顔、後姿、体つきを重要視しました。コーリャ役にはコンクリート打ちっぱなしのような、四角くて、角張っていて、直情的な俳優が必要でした。弁護士のディーマ役については、その対になるような、学があって、都会的な人物を求めていました。男優については何人もテストし、最終的にコーリャ役にはアレクセイ・セレブリャコフ、

ディーマ役にはウラディミール・ヴドヴィチェンコフを選びました。
『エレナの惑い』のとき、準備期間中に聞いていたフィリップ・グラスの曲を選び、使用許可を求めましたが、彼は映画のために新たに曲を書き下ろすと言ってきました。でも私が『エレナの惑い』に使いたかったのは新曲ではなかった。それで彼には、「別の作品で仕事をしたい」と言いました。『裁かれるは善人のみ』の音楽を誰にするか考えたときに、合うのか合わないのか迷いながらもグラスに依頼の手紙を書きましたが、彼の手は空いておらず、映画のために新曲を書きおろすことは叶わなかった。そこで、彼の旧作で、以前私たちが使用権を得ていた曲を『裁かれるは善人のみ』に当ててみたのですが、それがぴったりだったのです。


──政治腐敗の物語で、権力と教会の結託を描くのは、ロシア映画では初めてのことですね。
このシナリオをオレグ・ネギンと書く際、製作が禁止されるかもしれないと意識していましたか。

AZ:いっそ禁止してもらいたかったですね。この結末を思いついた時には寒気が走りました。脊髄に雷が落ちたようでした。この結末は現実の引き写しであり、焼けつくような真実であることを確信したのです。ラストシーンはファーストシーンの家の場面と対になるべきだと思いました。最初の家を捉えたロング・ショットと同じ位置にカメラを置き、出発点に戻ってきたことが分かります。観客は私たちと同様、打ちのめされるのです。
もちろんシナリオを書いている間中、疑念もありました。私は教会に深い敬意を抱いています。しかし私が敬意を抱いているのは、映画に描いたような教会ではなく、教会の精神そのもの、です。しかし教会の精髄に達するには、それ以外の部分にも触れなくてはなりません。司祭が壮麗な教会が建てられるために、どんな対価が支払われたのかを知らない、ということを強調しておくことは非常に重要でした。それで、市長が困難を司祭に語ろうとするのに対して、「懺悔でないのならば何も知りたくはない」と答えるやり取りが生まれました。そこにこそ司祭の罪、過ちがある。彼はそれを「知らねばならない」のです。


──オレグ・ネギンとあなたは、カンヌで脚本賞を受賞しました。ふたりの執筆作業はどのようにするのでしょうか。

AZ:一緒に書いてみたこともありますがうまくいきませんでした。座って、議論し、アイディアが浮かぶまで色々な話をして「核」が現れるのを待ちます。それが出てくるとオレグは部屋から出て行きます。しばらくすると今すぐにでも撮影可能なシナリオを持って帰って来ます。私はそれを読み、ロケ地や俳優のことを考えます。それと並行して、一ヶ月、あるいは二ヶ月の間、事務所でシナリオを「掃除」します。付け加えたり、削ったり、新しく考え出したりするのです。裁かれるは善人のみ』については、シナリオのほかに美術も重要でした。撮影のミハイル・クリチマンと私は、目的に叶う町を探して、三ヶ月の間にモスクワから半径600キロの70の町を見ました。しかし結局は美術のアンドレイ・ポンクラトフが、ネットでバレンツ海沿いのこの町の写真を見つけ出し、これこそ理想的な場所だと確信し、そこからすべてが始まりました。

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