マイ・サンシャイン

STAFF

監督・脚本:デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン
Deniz Gamze Ergüven

デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン

1978年6月4日、トルコ・アンカラ生まれ。フランス、トルコ、アメリカをまたぎ、都会的に育った。ヨハネスブルグ大学で文学、同大学院修士でアフリカの歴史を専攻後、フランス国立映画学校(FEMIS)の監督専攻で学んだ。卒業制作の“Bir Damla Su(Une goutte d’eau)”はカンヌ国際映画祭のオフィシャル・セレクションで上映され、ロカルノ国際映画祭のレオパーズ・オブ・トゥモロー部門でFilm and Video Subtitling賞を受賞した。
長編デビュー作『裸足の季節』は、カンヌ国際映画祭監督週間に出品されるや各国プレスから絶賛され、ヨーロッパ・シネマ・レーベル賞を受賞。その後、世界中の映画祭を席巻し続け、トルコ出身の女性監督によるトルコ語作品ながら、同年のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作『ディーパンの闘い』(16/ジャック・オディアール監督)などの並みいる強豪を押しのけてアカデミー賞®フランス代表に選ばれ、同外国語映画賞にノミネートされるという快挙を成し遂げた。自国語以外の作品がフランス代表となったのは『黒いオルフェ』(59/マルセル・カミュ監督)以来、56年ぶり2度目である。
本作『マイ・サンシャイン』は、FEMIS卒業後から監督が長期にわたり温めていた企画。

Filmography

2006年
Mon trajet préféré (短篇)
Bir damla su (Une goutte d’eau)(短篇)
第59回ロカルノ国際映画祭 Film and Video Subtitling賞
2015年
裸足の季節
第88回アカデミー賞® 外国語映画賞ノミネート
第73回ゴールデングローブ賞 外国語映画賞ノミネート
第68回カンヌ国際映画祭 ヨーロッパ・シネマ・レーベル賞
第41回セザール賞 第一回作品賞/脚本賞/音楽賞/編集賞
第21回リュミエール賞 作品賞/撮影賞/新人女優賞
第28回ヨーロッパ映画賞 ディスカバリー賞
第87回ナショナル・ボード・オブ・レビュー 表現の自由賞
第46回インド国際映画祭 主演女優賞
第30回ゴヤ賞(スペイン・アカデミー賞) 最優秀ヨーロッパ映画賞
第21回サラエヴォ映画祭 グランプリ/主演女優賞/観客賞
第6回オデッサ国際映画祭 グランプリ/監督賞
第51回シカゴ国際映画祭 観客賞(外国語映画部門)
第23回ハンブルク映画祭 アート映画賞
第5回サハリン国際映画祭 グランプリ/審査員特別賞(主演女優)
第60回バリャドリッド国際映画祭 観客賞/準グランプリ/新人監督賞/国際批評家連盟賞/ヤング審査員賞
第56回テサロニキ国際映画祭 観客賞
第8回ラックス賞 第16回AFIフェスト 観客賞(新人監督部門)
第27回パームスプリングス国際映画祭 観るべき10人の監督選出
第14回ダブリン国際映画祭 作品賞
第26回ストックホルム映画祭 脚本賞
第12回セビリア・ヨーロッパ映画祭 観客賞
第3回フィルムクラブ・ザ・ロスト・ウィークエンド 外国語映画賞/観客賞
第12回グラスゴー映画祭 観客賞
第24回フィラデルフィア映画祭 第1回作品賞
第21回サドリ・アルシュック映画演劇賞 審査員特別賞(主演女優)
第8回アナポリス映画祭 観客賞
第9回オーストラリア映画批評家協会賞 外国語映画賞
第63回シドニー映画祭 観客賞
2017年
マイ・サンシャイン

DIRECTOR’S INTERVIEW

―『マイ・サンシャイン』のアイデアはどこから生まれたのでしょうか。

2005年のパリ郊外暴動事件(註1)がすべての始まりです。私は生後半年からずっとフランスで暮らしているにも関わらず、フランス人として扱われていません。国籍申請は二度却下され、パスポートも申請する度に、通るか不安になります。母国と思っている国に認められない、という拠り所のなさを感じ続けてきました。私自身がよく知っている「愛している母国に拒絶される」という感情がパリ郊外暴動事件を引き起こしたのです。
一年後、ある女性がLA暴動について話してくれました。このふたつの暴動はまったく違った環境で起こりましたが、究極の絶望感が発端である点では同じものです。

註1)警察に追われた北アフリカ出身の3人の若者が変電所に逃げ込み、そのうち2人が感電死し、これをきっかけに勃発した暴動。

―ミリーをはじめ、登場人物たちはどのように生まれたのでしょうか。

作りたい映画のイメージはすぐに浮かびました。その後、3年に渡り、何度もLAを訪れました。サウスセントラルや、暴動が始まった地区を回り、歴史的事件として自分の中に情報を取り込んでいきました。ギャングのメンバー、LA市警、住民たちのメンタリティを理解しようとしました。サウスセントラルは、都市から切り離された島のようなものです。白人はめったにそこに足を踏み入れません。見えない境界線があるようでした。
『マイ・サンシャイン』で描かれるシーンはすべて現実をもとにしています。トイレを盗んだ男、暴徒を説得したファスト・フードの店長……みな実在の人物なのです。ミリーも実在します。サウスセントラルで運命的に出会いました。教会を探して迷ったときに、道を聞くと「私の教会にいらっしゃい」と言い、道案内をしてくれました。そこからミリーとの友情が生まれました。ミリーはある象徴のような人で、全人類の子供の面倒を見るホストマザーなのです。

―ハル・ベリーとダニエル・クレイグはどのように選んだのでしょうか。

ダニエル・クレイグは、多様な役柄を演じてきた偉大な俳優です。身体的な俳優でもあり、彼のパレットには、バスター・キートンやハロルド・ロイドに近い色調もあるのです。ダニエルが『マイ・サンシャイン』で演じたオビーは、何よりもその多様な色が必要でした。ハル・ベリーには、『裸足の季節』のアカデミー賞®のキャンペーン中に会いました。ユーモアと優雅さを併せ持った、ミリーの情熱にふさわしい女性です。でも、彼女に初めて会った時は、ミリー候補としてはまったく考えていませんでした。それなのになぜか『マイ・サンシャイン』の物語を彼女に話していました。このときの出会いの火花から、数年後に映画が生まれることになったのです。

―当時のLAで聞かれていたヒップ・ホップではなく、ウォーレン・エリスとニック・ケイヴの音楽を選びました。

ウォーレンとは『裸足の季節』の時から、共にストーリーを考えることができる関係になりました。音楽は語りのひとつであり、かつ物語がもたらす感情を表現します。ニック・ケイヴも偉大なアーティストです。彼らは、ユニークな方法でストーリーテリングに加わっているのです。

―LA暴動は、現在でも今日性があります。25年前の暴動について、どうお考えですか。

今でも二つの問題が片付いていません。まず、アメリカの「人種問題」です。解決からほど遠い。ニュー・オーリンズ取材を行ったとき、様々なタブーやヒステリックな反応を見ました。次に、「B級市民」的な感覚です。多くの人がその存在を無視している市民がいます。世界中での移民難民への対応が顕著ですが、出自や肌の色に基づいて、命に価値がある人とそうでない人を分けている。この二つは現在に続く問題です。

―ニュース映像が多用されますが、どのような効果を狙ったのでしょうか。

LA暴動のきっかけになったロドニー・キング事件と、ラターシャ・ハーリンズ射殺事件の映像は、突然アメリカの病理を照らし出しました。この暴力的な映像の中に、大衆は自分たちの姿を見つけ出したのです。『マイ・サンシャイン』で描きたいと思ったのはこういったことです。まるで知人のような距離感の人々の映像から、人はどのように影響を受けるのか。この三面記事的な事件の中に、街が自身の姿を見いだし、機能不全に陥る。私たちが生きている現在も同じことが起きています。アマチュアのカメラマンが撮ったほんの小さな三面記事が、一人一人の人生に影響を与えるような視覚文化の中に生きているのです。

音楽:ニック・ケイヴ Nick Cave

1957年9月22日、オーストラリア、ヴィクトリア州生まれ。ロックバンド ニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのリーダーで、音楽活動以外にも、脚本家、画家、俳優として幅広く活躍し、最近ではヴィム・ヴェンダース監督の『アランフエスの麗しき日々』(17)に俳優として出演。数々の映画音楽をウォーレン・エリスと担当している。これまで手掛けた作品は『ジェシー・ジェームズの暗殺』(08/アンドリュー・ドミニク監督)、『欲望のバージニア』(03/ジョン・ヒルコート監督)、『ウインド・リバー』(18/テイラー・シェリダン監督)など。

音楽:ウォーレン・エリス Warren Ellis

1965年、オーストラリア、ヴィクトリア州生まれ。90年代初めにバンド活動を始め、95年にニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズのレコーディングに参加。98年、ジョン・カラン監督の「Praise」で初めて映画音楽を手がける。『欲望のバージニア』(12/ジョン・ヒルコート監督)、『ウインド・リバー』(18/テイラー・シェリダン監督)など数々の作品でニックとタッグを組み映画音楽を担当。デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン監督の『裸足の季節』(16)で初めて単独でサウンドトラックを手がけ、本作が2度目のタッグ。