スタッフ

撮影:アレクシ・カヴィルシーヌ

1972年5月生まれ。国立ルイ・リュミエール高等学院卒業後、およそ50本の短編作品で撮影を担当し、プロの道へ。ドキュメンタリーの撮影監督としてのキャリアも長く、テレビ作品を含めて40本以上の作品を手掛ける。“Les petites vacances”(06/オリヴィエ・ペヨン監督)で長編劇映画の撮影監督デビュー。主な作品に、フランス人監督パスカル=アレックス・ヴァンサンによる美輪明宏のドキュメンタリー『美輪明宏ドキュメンタリー ~黒蜥蜴を探して~』(10)、第37回セザール賞ドキュメンタリー作品賞を受賞した「ラルザックの奇蹟」(11/クリスチャン・ルオー監督)、『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』(12/サイモン・ブルック監督)、“Vincent n'a pas d'écailles”(14/トーマス・サルヴァドール監督)などがある。

音楽:グレゴワール・エッツェル

1972年、フランス生まれ。セザール賞作曲賞にノミネートされた『パパの木』(10/ジュリー・ベルトゥチェリ監督)、2015年は同音楽賞ノミネート『あの頃エッフェル塔の下で』(15/アルノー・デプレシャン監督)と「サマータイム」(15/カトリーヌ・コルシニ監督)の映画を彩る情緒的な音楽が高く評価され、両作品ともリュミエール賞音楽賞を受賞。アルノー・デプレシャン監督とのタッグも多く、『キングス&クイーン』(04)、『クリスマス・ストーリー』(08)でも音楽を担当。その他の主な作品に『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』(06/イラン・デュラン・コーエン監督)、『灼熱の魂』(10/ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)、『黒いスーツを着た男』(12/カトリーヌ・コルシニ監督)などがある。

吉武美知子(プロデューサー)インタビュー
東京生まれ。パリ在住。フランスのみならず様々な国の監督と日本映画界を繋いでいる。

―まず、なぜ黒沢清監督にフランスで映画を撮ることを提案されたのでしょうか?

黒沢さんは日本ではとうに有名ですし、世界でも既に認められている監督です。そこで『新たな土俵で映画を撮ることに挑戦して頂きたい』という気持ちが先ずありました。私は日本人ですがパリに住んでいます。外国人ながらその国にどっぷりいると失ってしまう視点があるんです。『TOKYO!』(08)を制作したのは、日本を外国人が見たらどうなのか、という興味からです。普段、私たちが何も考えず空気を吸うように生きている毎日の光景が、よそから来た人には新鮮に映るだろうし、別のアングルから見ることができると思ったんです。その題材として東京の街を選びました。黒沢さんの場合は、街としての「パリ」を撮ってほしいということはなく、黒沢さんの世界をフランスで展開したらどういうことになるのか、と考えていました。最近のフランス映画は、素晴らしい作品もありますが、同じようなテーマを少しずつ角度を変えて撮っているようなものが大半だな、と感じていました。同じフランスを舞台にした脚本でもフランス人が撮るのと、外国人が撮るのは違う。黒沢監督にはフランス映画界に新しい風を吹かせてほしい、という思いがありました。視点が違うフランス映画なるだろうと……。

―このプロジェクトが立ち上がったのはいつですか?

2011年頃です。黒沢さんに「海外で撮ることに興味ありますか?」と伺ったら、黒沢さん自身もすごく興味がおありだったようで話が進んでいきました。黒沢さんは、かなり前にイギリスで映画を撮る話があったそうです。その話は結局なくなってしまったそうですが、そのときに書かれたプロットが残っていて、それを読ませて頂きました。「このプロットはフランスでも成立する!」と思い、その原案を今度はフランスを舞台にしては黒沢さんに脚本を書いて頂きました。「ダゲレオタイプ」というキーポイントがいつ登場したかは記憶があやふやですが、ダゲレオタイプ写真はフランスが発祥の地ですから、よりその設定が活かせるな、と思いました。

―フランスで黒沢清監督が撮ることに対する、フランスの反応はどんなものでしたか?

ウケました(笑)。『CURE キュア』(1997)が世界各地の映画祭で紹介され高い評価を受けて、フランスでも配給会社がついて……黒沢ファンが誕生しました。『CURE キュア』以降の黒沢作品はすべてフランスで公開されています。今回黒沢監督がフランスで撮影することを聞きつけた人たちから「スタッフに使ってくれ」とか「メイキングを撮らせてくれ」といっぱいラブコールが来ました。彼らはだいたい30代で、この世代に黒沢さんのファンが多いんだなと実感しました。「僕にとって黒沢清は最高の監督だ!」と言っていて、世界で活躍する他の日本人監督にはないような心酔しているコアなファンが確実にいる。一般的なファンだけじゃなくて批評家たちにも“絶対的黒沢支持派”がいます。シネマテーク・フランセーズで“黒沢清大回顧展”をやったときは、『ドレミファ娘の血は騒ぐ』とか『勝手にしやがれ!!』シリーズとか日本でもなかなか見られない作品も上映されて凄かったですね。

―キャスト、スタッフはどのように決まっていったのでしょうか。

キャスティングは、双方で案を出し合って、黒沢監督がご存じない人はデータや出演作の抜粋やDVDを渡して、そこから絞っていきました。タハール・ラヒムと監督は、以前どこかの映画祭で一緒になって「黒沢さんのファンです、映画観ています」と挨拶されて、何か一緒にできればいいねという話があったようです。なので黒沢監督の中でジャン役はタハールでというイメージはけっこう固まっていたように思います。マリー役も、かなり早い段階でコンスタンスのことを知った黒沢さんが気に入っていたので比較的すんなり決まりました。迷ったのはステファン役ですね。マチューについては、特別出演という感じ。「出たいな!」っていうマチューに「え〜いいんですか?」という気軽な感じでした(笑)。
スタッフは、こちらが挙げた候補者に会って頂き決めました。撮影監督は5、6人と面会してアレクシに決まりました。実は、黒沢監督の撮影をいくつも担当されているカメラウーマンの芦澤明子さんが日本から陣中見舞いにいらしたんです。アレクシは恭しく彼女を機材屋さんに案内したりして二人は意気投合しました。あとで黒沢監督から聞いた話ですが、芦澤さんが『クリーピー 偽りの隣人』の現場ですごくアレクシのことを意識されていたようで、「アレクシだったらどう撮るかな」って何度も呟かれていたいたみたいです(笑)。いい話ですよね。

―撮影現場の雰囲気は、どのようなものでしたか?

素晴らしい現場でした。これまで経験した中で一番幸せな現場でした。現場の雰囲気がふつうのフランス映画と違うんです。余計なお喋りをしないで、せっせと効果的に仕事をしていてとても気持ちがいい。みんな「この映画だったら」と参加してくれた人たちで、黒沢さんのことをとても尊敬してついてきてくれました。撮影が終わる頃になると「終わってほしくない」「この幸せな日々がもっと続いてほしい」って言っているスタッフがたくさんいました。
黒沢監督は、毎朝誰よりも先に現場に着いて、事前に考えてきたその日撮影するカット割などをもう一回確認して、それを撮影監督たちに指示して始めるんです。そこは“黒沢映画”だから、みんなが経験したことがないような撮り方がある。その指示にみんな感心していました。
感動的なエピソードがあって、最後の撮影は深夜に田舎道で車を走らせるシーンだったのですが、制作部がこっそり打ち上げ花火を仕掛けていたんです!で、クランクアップした途端にバンバンッと打ち上げたの。そしたら今度は美術部が買い出してきたシャンパンやパテを持ってきて。畑の真ん中で、打ち上げパーティーになったんです。それを見て、スタッフもすごく楽しんだ、いい現場だったんだなって実感しました。黒沢監督も「フランスではいつもこうなんですか?」と言っていたけど「そんなことありませんよ!」と(笑)。これはみんなにとって特別な現場だったんです。本当にいい現場でした。

―これからご覧になる方に一言お願いします。

黒沢清初の海外映画をどうぞ堪能してください。紛うことなきフランス映画だけれど、紛うことなき黒沢清映画です。

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