PEOPLE PROFILE
FILMOGRAPHY

オタール・イオセリアーニ
(Otar Iosseliani)
  1934年2月2日 旧ソ連邦ゲオルギア(グルジア)共和国のトビリシ生まれ。
 トビリシ高等音楽院の作曲科で優れた成績を修める。モスクワ大学で応用数学を専攻した後、モスクワの国立映画大学(VGIK)の監督科に入学。58年よりゲオルギア・フィルムで短篇劇映画を数本監督した後、62年に長篇第一作「四月」を監督。二人の男の関係が物質文明によって崩壊してゆく様を寓話的に描いた作品であったが、「抽象的、形式主義的」という理由で一般公開は禁じられる。
 一度は映画監督としての道を断念したイオセリアーニだったが、ワイン工場で働く気のいい青年の日常を淡々と描いた『落葉』(66)でカンヌ映画祭国際批評家連盟賞、都会からやって来た4人の室内楽団と田舎の人々の出会いと別れを描いた『田園詩』(76)ではベルリン映画祭国際批評家連盟賞をそれぞれ受賞し、在住芸術家としての権利を手に入れ、79年よりパリに移住。個性的な自由人たちが大挙登場する、とぼけた味わいの群像劇を次々に監督。古き良きヨーロッパの手作り陶器の運命をたどりながら拝金主義を冷ややかに風刺する群像劇「月の寵児たち」(84)、古い城館に住む老婦人たちと村人との交流の日々と、老婦人の死後、日本人不動産業者と遺産相続人が城館を荒廃させる様を対比して描く「蝶採り」(92)、中世の王と騎士の支配、サルタンの支配、旧ソ連邦時代の恐怖政治を時間を越えて描き、権力の野蛮を風刺した「群盗、第七章」(96)の3作品がいずれもヴェネツイア映画祭審査員特別大賞を受賞。新作を発表するたびに絶賛されヨーロッパでの人気を揺るぎないものにしてゆく。
 最新作の本作『素敵な歌と舟はゆく』(99)は、99年カンヌ映画祭のアウト・オブ・コンペ部門に正式出品された後、ルイ・デリュック賞、ヨーロッパ映画アカデミー選出による年間最優秀批評家連盟賞を受賞。2000年のカンヌ映画祭ではカメラドール審査員長を務めると同時に「四月」の復元版が上映され、その輝かしいキャリアにオマージュが捧げられた。