監督

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督インタビュー

──『午後8時の訪問者』は、どのようにして生まれたのでしょうか。

リュック・ダルデンヌ(以下L):追及というアイディアは数年間ありました。主役を警官にすることを考えたこともありました。

ジャン=ピエール・ダルデンヌ(以下JP):しかし私たちが作りたかったのはジャンル映画ではありません。二重の追及の物語にしたかったのです。ジェニーは執拗に誰も知らないこの少女の名前を知ろうとします。同時に彼女は、なぜ彼女が死んだのか、自分にも一部責任があるその死の真相を知ろうとするのです。

L:ジェニーは償いをしたいのです。彼女は扉を開けなかったことに罪悪感を覚えますが、彼女の探究には自己満足も、自己陶酔もありません。彼女は出会った人々にお説教をしたりしませんし、まして観客にそうすることもないのです。

──ジェニーが患者の身体に聞くということが非常に重要な要素でした。

L:登場人物たちは、精神状態を肉体的に表します。めまい、胃痛、癲癇の発作。まず初めに身体が反応するのです。身体は話し、言葉にできないものを表に出す。ジェニーは名もなき少女の身元を探ることで同時に、患者たちの苦しみを聞き、彼らを癒そうとしているのです。

JP:私たちは、ジェニーが身体に聞くことを通して少女の身元を追及するようにしたいと思いました。彼女はあくまで医師であり、刑事ではないのです。

──実際、医師に取材なさいましたか。

L:長年の知り合いの医師が、脚本執筆中に相談に乗ってくれました。彼女は医療場面の撮影にも立ち会ってくれました。他にも私たちが出会った医者たちの話を取り入れた場面がいくつかあります。

──映画の冒頭でジェニーは研修医のジュリアンに、「感情に流されるな」と言いますが、彼女の以後の行動はその言葉を裏切ります。

L:医者は診断をする際に感情を警戒します。しかし患者と話をし、助ける際に感情は役に立つのです。身元不明の少女が誰なのかを追及するならなおさらです。

──ジェニーもまた「Unknown Girl」です。彼女の過去、個人生活は知らされません。

JP:ジェニーの詳細を伝えることにこだわる必要はないと思いました。脚本の草稿段階では彼女の私生活にも触れていたのですが、そうした要素は不要に思えたのです。

L:ジェニーは言わば、見知らぬ少女に取り憑かれています。それが彼女の追及や選択を導いてゆく。それこそ私たちの最も興味ある点だったのです。

──ジェニーの患者たちは、その度合いは様々ですが、貧困や社会的絆の分断など現代の悪に苦しんでいます。

L:そうした登場人物は今の社会の現実に根差しています。彼らは暴力的なまでに周縁化された社会の一員なのです。しかしながら私たちは、彼らを「社会的事象」として描きたかったわけではありません。ジェニーが彼らと出会う時、彼女は彼らを一つの「ケース」ではなく、あくまで個々人として捉えています。それは私たちも同じことです。

──『午後8時の訪問者』はリエージュの郊外、セランを舞台としていますね。

JP:1996年の『イゴールの約束』以来、すべての映画をそこで撮ってきました。医者の主人公が、追及していくという漠然としたアイディアしかなかった時期から、あの高速道路とムーズ河の辺りで撮影するのだろうなと思っていたのです。

L:あの高速道路が私たちの発想を促してくれました。車は絶えず高速で通過していきますが、ジェニーの小さな診療所で起こっていることなど知りもしないのです。

──『午後8時の訪問者』はフランスの人気女優アデル・エネルを主役に起用しました。

L:彼女が「スザンヌ」でセザール賞助演女優賞を獲った頃、パリで彼女と出会いました。ほんの少し言葉を交わしただけでしたが、私たちの医者を演じてもらいたいと思いました。何かが私たちを惹きつけたのです。体つきなのか、動きなのか、微笑みなのか……。

JP:いつも通り私たちは撮影前に長くリハーサルを行いました。テーブルを囲むのではなく、アクションが起こる現場で、状況や人の動きを検討します。この重要な期間の間、ずっとアデルは毎日顔を出し、質問をし、自分でも提案してくれました。彼女は率直で、常に想定外で、身軽なのです。非常に創意に富んでいて、私たちに思いがけないアイディアを出してくれました。

──あなた方の常連俳優、オリヴィエ・グルメやジェレミー・レニエも出ていますね。

L:彼らと撮影するのは常に楽しみです。『午後8時の訪問者』には、『少年と自転車』の少年シリル役のトマ・ドレ、『息子のまなざし』でフランシスを演じたモルガン・マリンヌ、幾つかの作品で起用しているファブリツィオ・ロンジォーネも出ています。とても素晴らしい演技を見せてくれた、若きフランスの俳優、オリヴィエ・ボノーと仕事できたのも嬉しかったですね。

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ

ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄のジャン=ピエールは1951年4月21日、弟のリュックは1954年3月10日にベルギーのリエージュ近郊で生まれる。リエージュは工業地帯であり、労働闘争のメッカでもあった。ジャン=ピエールは舞台演出家を目指して、ブリュッセルへ移り、そこで演劇界、映画界で活躍していたアルマン・ガッティと出会う。その後、ふたりはガッティの下で暮らすようになり、芸術や政治の面で多大な影響を彼から受け、映画製作を手伝う。原子力発電所で働いて得た資金で機材を買い、労働者階級の団地に住み込み、土地整備や都市計画の問題を描くドキュメンタリー作品を74年から製作しはじめる。75年にはドキュメンタリー製作会社「Derives」を設立する。
78年に初のドキュメンタリー映画“Le Chant du Rossignol”を監督し、その後もレジスタンス活動、ゼネスト、ポーランド移民といった様々な題材のドキュメンタリー映画を撮りつづける。86年、ルネ・カリスキーの戯曲を脚色した初の長編劇映画「ファルシュ」を監督、ベルリン、カンヌなどの映画祭に出品される。92年に第2作「あなたを想う」を撮るが、会社側の圧力による妥協の連続で、ふたりには全く満足できない作品となってしまう。
前作での失敗に懲りた彼らは、『イゴールの約束』では決して妥協することのない環境で作品を製作、カンヌ国際映画祭国際芸術映画評論連盟賞をはじめ、多くの賞を獲得するなど、世界中で絶賛された。続く『ロゼッタ』ではカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルムドール大賞と主演女優賞を受賞、本国ベルギーではこの映画を発端として法律が成立するほど話題になった。さらに02年、『息子のまなざし』でもカンヌ国際映画祭で主演男優賞とエキュメニック賞特別賞をW受賞。05年、カンヌ国際映画祭にて『ある子供』で史上5組目(他4組はフランシス・F・コッポラ、ビレ・アウグスト、エミール・クストリッツァ、今村昌平、12年にミヒャエル・ハネケ、16年にケン・ローチが2度目の受賞)の2度のパルムドール大賞受賞者となる。『ロルナの祈り』では08年のカンヌ国際映画祭において脚本賞を受賞、『少年と自転車』は11年の同映画祭グランプリを受賞、史上初の5作連続主要賞受賞の快挙を成し遂げた。そして主演のマリオン・コティヤールがアカデミー賞®主演女優賞にノミネートされた『サンドラの週末』に続き本作『午後8時の訪問者』もカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品。7作品連続でのカンヌ国際映画祭コンペティション部門選出は極めて異例の快挙である。今年、第40回ヨーテボリ映画祭で彼らの功績を讃えて名誉賞を受賞した。
近年では共同プロデューサーとして若手監督のサポートも積極的に行っている。名実共にいまや他の追随を許さない、21世紀を代表する世界の名匠である。

フィルモグラフィ

1977年

“dans les cites ouvrieres de Wallonie (Vidéo d'intervention)
ワロン地方の労働者の街で”(参加型のビデオ作品)

1978年

“Le Chant du Rossignol ナイチンゲールの歌声”

1979年

「レオン・Mの船が初めてムーズ川を下る時」

1980年

“Pour que la guerre s'achève, les murs devaient s’écrouler
戦争が終わるには壁が崩壊しなければならない”

1981年

“R...ne répond plus 某Rはもう何も答えない”

1982年

“Leçons d'une université volante 移動大学の授業”

1983年

「ヨナタンを見よ:ジャン・ルーヴェ、その仕事」

1986年

「ファルシュ」

1986
ベルリン国際映画祭フォーラム部門正式出品
カンヌ国際映画祭ある視点正式出品

1987年

“Il court.. il court le Monde 走る、世界は走る”

1992年

「あなたを想う」

1992
ナミュール国際映画祭
観客賞/金のバイヤール(最優秀女優)賞(ファビアンヌ・バーブ)

1996年

『イゴールの約束』

1996
カンヌ国際映画祭 国際芸術映画評論連盟賞
ナミュール国際映画祭
作品賞/金のバイヤール(最優秀男優)賞(オリヴィエ・グルメ)/観客賞
ジュネーヴ国際映画祭 プレス審査員賞(ジェレミー・レニエ)
バリャドリード国際映画祭 グランプリ/国際批評家連盟賞
1997
ベルギー映画ジャーナリスト協会賞
フランス映画批評家組合 カヴェンス賞
ロサンゼルス批評家協会 外国語映画賞
全米批評家協会 外国語映画賞
ファジル国際映画祭 グランプリ
ルーカス国際子供映画祭 批評家協会賞
ジョセフ・プラトー映画賞
最優秀作品賞/監督賞/最優秀主演女優賞(ソフィア・ラブット)
ブリュッセル国際映画祭 最優秀ベルギー映画賞
2000
ナミュール国際映画祭 Bayard of the Bayards賞

1999年

『ロゼッタ』

1999
カンヌ国際映画祭 パルムドール大賞/主演女優賞(エミリー・ドゥケンヌ)
2000
シカゴ映画批評家協会 最優秀新人賞(エミリー・ドゥケンヌ)
フライアーノ国際賞 ゴールデンペガサス賞(最優秀監督賞)
ジョゼフ・プラトー映画賞
最優秀作品賞/監督賞/最優秀主演女優賞(エミリー・ドゥケンヌ)

2002年

『息子のまなざし』

2002
カンヌ国際映画祭 主演男優賞(オリヴィエ・グルメ)/エキュメニック賞特別賞
2003
ファジル国際映画祭 グランプリ/主演男優賞(オリヴィエ・グルメ)
ジョゼフ・プラトー映画賞 最優秀作品賞/監督賞/主演男優賞(オリヴィエ・グルメ)
リュミエール賞 最優秀フランス語圏映画賞
サンフランシスコ批評家協会 最優秀外国語映画賞
2004
セスキ映画祭 最優秀外国語主演男優賞観客賞(オリヴィエ・グルメ)

2005年

『ある子供』

2005
カンヌ国際映画祭 パルムドール大賞
ロシア映画批評家協会 最優秀外国語映画賞
2006
スウェーデン映画賞 最優秀外国語映画賞
ジョゼフ・プラトー映画賞
最優秀作品賞/監督賞/脚本賞/最優秀主演男優賞(ジェレミー・レニエ)
最優秀主演女優賞(デボラ・フランソワ)
リュミエール賞 最優秀フランス語圏映画賞
トロント映画批評家協会 最優秀監督賞/最優秀外国語映画賞
バルデイビア国際映画祭 最優秀作品賞

2008年

『ロルナの祈り』

2008
カンヌ国際映画祭 最優秀脚本賞
ラックス賞
2009
リュミエール賞 最優秀フランス語圏映画賞

2011年

『少年と自転車』

2011
カンヌ国際映画祭 グランプリ
ヨーロッパ映画賞 最優秀脚本賞
ヴァリャドリッド国際映画祭 選外佳作(トマ・ドレ)
フライアーノ国際賞 最優秀監督賞
2012
ゴールデングローブ賞 外国語映画賞ノミネート
リュミエール賞 フランス語圏映画賞ノミネート
サンディエゴ映画批評家協会 外国語映画賞
ベルギー・アカデミー賞 有望若手男優賞(トマ・ドレ) 
2013
セントラル・オハイオ映画批評家協会 外国語映画賞

2014年

『サンドラの週末』

2014
カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品
ヨーロッパ映画賞 最優秀女優賞(マリオン・コティヤール)
シドニー映画祭 グランプリ
ニューヨーク映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
ボストン映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)/外国語映画賞
ニューヨーク映画批評家オンライン賞
主演女優賞(マリオン・コティヤール)/外国語映画賞
ボストン・オンライン映画批評家協会
主演女優賞(マリオン・コティヤール)/外国語映画賞
オンライン映画批評家協会 外国語映画賞
ダブリン映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
サンディエゴ映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
インディアナ映画ジャーナリスト協会 外国語映画賞
女性映画批評家協会 外国語映画賞
全米映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
デンバー映画批評家協会 外国語映画賞
ジョージア映画批評家協会 主演女優賞(マリオン・コティヤール)
2015
アカデミー賞 主演女優賞ノミネート(マリオン・コティヤール)
国際シネフィル協会賞 主演女優賞(マリオン・コティヤール)

2016年

『午後8時の訪問者』

2016
カンヌ国際映画祭 コンペティション部門正式出品
トロント国際映画祭正式出品
2017
オンライン映画批評家協会 最優秀米国未公開作品

ページTOP